長いことバイクの世界にいて何台も乗り継いでいると、これからバイクを買おうという人から「このバイクは長持ちしますか?」「外車は国産車と設計思想が違いますよね?」「部品を変えれば何年も乗れますかね?」等々、バイクの耐久性に関する質問を受けることがあります。

今回は皆さんが気になるバイクの耐久性について、またしても独断と偏見で語っていこうと考えてるわけなんですが、私のブログに「マトモな技術論」など期待してはいけない。ここにあるのは、根拠のない情緒と、投げっぱなしの問題提起のみです。それではここで、私の回答を選手宣誓風にお伝えしましょう。パンパカパーン。


「バイクの購入にあたってぇぇー耐久性をぉぉー考慮する必要わぁーありませーぇぇぇん!!!」

うーーん。アホっぽい。いきなり身も蓋もありませんが、それが無謀な消費により、大やけどを繰り返してきた私がたどりついた嘘偽りのない結論です。

まぁ反論は幾多あると思いますし、メジャーな意見ではないことは百も承知。それでもなお私は「耐久性の真実は機械の側にあるわけではない」ってことを確信してる。ことバイクにおいては、耐久性のみで維持可能性を語るのは、非常に大事な側面を落としていると思います。

確かに、この世に存在する全ての商品にとって、耐久性は非常に重要なファクターで、多くの人が消費活動の中で手に入れた商品の使用限界と折り合いをつけながら日々の生活を送っています。だから、商品の耐久性を知りたいというのは、それを購入するオーナーにとっては当然の欲求であると思います。

高額商品を購入するにあたって、長く使えるか?部品の一つ一つのクオリティが高いか低いか?ってのは、プライスの根拠として非常に重要であることは疑う余地がありません。しかし、商品が長期にわたる潜在的な耐久性を持つということと、「耐久性が発揮されるか?」ということは全然別の問題です。

どんなに耐久性が高くても、オーナーがバイクを手放ししちゃえば耐久性なぞ発揮されずに終わるんですよ。そして、趣味の消費財の行く末は「オーナーの内面によって決まる」んです。つまり、バイクの耐久性が発揮されるには、その前提としてオーナーの「心の耐久性」が必要になってくるわけです。

コダワリのない日常生活用品は「ダメになるまで買い換えずに使う」から、長持ちすればするほどいい。しかし、こだわりの強い趣味のバイクはどうでしょう?ボロボロになって「お兄さん。これはもう流石に直せねぇよ・・」ってバイク屋のオヤジがさじ投げるまで、使い込まれたバイクがこの世にどれだけあるんでしょうか?

そんなバイクは「郵便配達の赤カブ先生」か、「ピザ屋のジャイロキャノピー」「バイク便のVT250」くらいではないでしょうか?

私だってバイク購入で大枚をはたく度、「このバイクは大事に10年乗るんだからね!!」とコブシを握って決意するわけですよ。だってそうしないと大金を投資する覚悟ができないから。そして、現在まで30年間、バイクの購入と売却を繰り返してまいりましたが、その実態はどうだったか??情けないことに、ダイナに出会うまで、ほとんどのバイクを3年以内に手放しちゃってるんです。それはナゼか?

「浮気しちゃった♡」

んですよ~。たはは~。てへ。

射撃・2(全てのバイクが浮気性のオーナーの頭を吹き飛ばしたいと思っていることでしょう。今回はそんなバイク達の怒りを絵にしてみました。)

コカして売りに出したバイクもありますが、そのバイクだって大金をツッコめば直せたかもしれない。でも、中破レベルになるとあっという間にそのバイクから心が離れ、ハァハァいいながら次のバイクを物色するという状況でした。

このように「オーナーの浮気耐性が非常に低い」場合にはバイクの耐久性など問題にすらならないわけですよ。自分のブログで乗り継いできたバイクの耐久性を熱く語ろうにも、耐久性を語れるほどバイクを維持してないわけなんです。

私は今のところ、ダイナを長期所有してるんで、「バイクを長く大事にする人」に見えちゃってるかも知れませんが、ぜんっぜん違いますよ。ダイナを長く維持できてるのは、バイク複数台持ちにシフトしたからで、もし1台しか持てなかったらF6B購入時にあっさり手放していた可能性が高い。

でもこんな私の生態を「そんなのお前特有の問題だろ?」と言い切れるバイク乗りがこの世にどれだけいるんでしょうか?アクセルベタ踏み鬼ローン全ツッパしている病気自慢のバイク大好き野郎達に浮気をするなと?そんなの無理じゃないですか??

バイク乗りの一生は短い。にもかかわらずエンジンは


単気筒
並列二気筒
V型二気筒
縦置V型二気筒
L型二気筒
水平対向二気筒
三気筒
直列四気筒
V型四気筒
加給器付四気筒
直列六気筒
水平対向六気筒

と、もうどんだけあんだよと。長年評価されて生き残ってるエンジンだけで、こんだけ種類があるんです。

中古バイク店で、買い取ったバイクの試乗をしまくってた私だって、まだ縦置V型二気筒と三気筒には乗ったことがない。そしてそれらのエンジンが、こっちに向かっておいでおいでをしてるわけですよ。

バイクなんて、鬼ローンの覚悟さえ決めれば、もうよりどりみどりですよ。バイク雑誌ってのは超美人の風俗嬢達がアナタのご指名お待ちしてます!とばかりに熱烈アピールしてるファッションヘルスみたいなもんです。そんな中、とっかえひっかえのハーレム状態希望というのがバイク乗りの本音でしょ?

長年人間観察してきましたが、バイク乗りって基本イケイケで攻めっ気のカタマリ。消費にだってそれが反映されてる。1台を耐久性の限界まで乗っていきますなんて、そんな枯れた状態になるには去勢手術レベルの脳改造をしないといけない。

だからバイク乗りの「耐久性はどうなんでしょう。何年乗れますかね?」なんて言葉は真剣なようでいて完全にスベってるんですね。それは、バイク購入前のお約束、おはようの挨拶みたいなものに過ぎないんです。

外車買おうとしてる人に、「維持費覚悟して下さいね。」って伝えるべく、「国産の倍くらいかかりますよぉ~。」って言っても、「倍くらいならたいしたことないですよね!!」って答えが返ってくる。「ハァァァァァア??国産の倍もするのにいいのかよ??」ってツッコみたくなりますが、相手はもうそのバイクが欲しすぎて、幸せの認知症状態になってるのでナニ言っても入っていかない。「維持費年間30万円ですよ」っていったって、「思ったより少ないね。」って返されたら言葉もない。

「いや歯の根が合わなくなるくらいメチャメチャ高いだろ!!」って心の中でツッコんだりしますが、欲しい奴は年間維持費100万円ですって言っても多分買うんですよ。単にお約束で聞いてるだけ。

ディーラーやメディアだって、「この素晴らしいバイクは、きっと長年あなたの良き相棒になってくれるだろう・・。」なんてインプレしながら、さらなる新人ギャルをローンが終わる頃に登場させ、「新型はシャーシもエンジンも全方位で進化した。最新鋭のハイテク装備をひっさげて、○○は新たな地平に到達したのである。」などと浮気心を煽りまくるため、バイク乗りが一台とポンコツになるまで添い遂げるのは、まったくもって難しい。

射撃2(イラスト下絵。それにしてもメイドと銃器ってなんでこんなに合うんでしょうか?服が死神っぽいからなのでしょうか?うーーん、、不思議です・・)

私は今の時代、国産だって外車だってオーナーに直そうという情熱と根性さえあれば、どこまででも直せるし、維持できるはずだと思ってます。ただし高性能な新型が出ようが、コカそうが、ぶっ壊れようが、とにかく「こいつといけるところまで!」とオーナーに覚悟させるようなバイクに出会えるまでの旅路は長い。

その旅路の終着点に到達し、自分が真に維持しようと思えるバイクに出会ったとき、初めてバイクの耐久性が問題になるわけですが、そんなバイクに出会えたという最高の幸せを前にして、耐久性や維持費なんてもうどうでもいいんじゃないの?と私は思う。


そこまで惚れ込んで、どんな状態になっても乗るって決意すれば、その時点でもう銭金や耐久性の問題じゃなくなってる。オーナーの真の愛があれば今の時代なんだって復活しますよ。

でもね。そんな理想のバイクって幻想の世界にしかないような気もするんですよね。

私は今のところ、2気筒エンジンの代表格であるハーレーの空冷Vツインと多気筒エンジンの極北に位置するホンダの水平対向6気筒を気分によって使い分けることで、物欲を抑制し落ち着いた状態になってますが、これが旅の終わりだと思ってないし、1台縛りだったら、未だにどんどん買い換え続けてるような気がするんですよ。

結局、一台で乗り手のわがまま全てを満たすような、完璧なエンジンもシャーシもこの世には存在しないんです。多くのバイク乗りは、全ての不満を解消できる「理想のバイクがきっとあるはず」とかたくなに信じてバイクを選び、生き急ぐように消費の旅路を行くわけですが、季節や気分、年齢、環境によって自分の求める要求が変わっていく以上、「不満の全てを埋めることなど到底できない」ということにやがて気づく。そうすると、少しだけ妥協をし、浮気をしなくなり、歩みが遅くなっていく。

だから、バイクの耐久性って大事なようですが、バイク乗りとして全力で走り続けているうちは問題にすべきはそこじゃないんです。まずはバイクを通じて自分を知り、バイクに求めるものを見極めて、自分が納得行くまで付き合えるバイクと巡り会うことが大事なんです。

晩年になり、長い旅路の果てに、多くの欲望を切り張りしながら、妥協を繰り返したその先に、ようやく耐久性を語れるバイクと出会う。そこをごっそり省略しちゃって、いきなりバイクの機械的耐久性を問題視してもしょうがないんじゃないの?っていうのが私の見解です。

この世の多くのバイク批評は機械を通してバイクを見てますが、私は人の消費行動を通してバイクという高額趣味商品を見ています。切り口はずいぶん違いますが、高額消費における真の姿は、消費の対象であるモノ自体にあるのではなく、消費する人の内面にこそあると私は思ってるわけです。