20年前くらいは教習所で大型免許がとれるようになったことの是非について、それなりに議論が活発でしたが、最近では完全に風化して、過去の試験制度を振り返ることもほぼなくなりました。

今回はウサギの丸グソのように存在感のないモブライダーの私が、「ナウシカの大ババ様」のように、昔の大型バイク免許の悲哀について語ってみようかと思います。

あらためて自分の運転免許証を眺めますと私は平成4年11月に限定解除したことになってる。もう遠い昔すぎて合格年なんてどうでもいいことですが、苦労して試験合格して1年も経たぬうちに、バイク雑誌で「教習所でも免許が取れるようになるようだにゃん」という情報を見て「ズコーーッ」っとなった記憶があります。調べてみると平成8年以降、教習所で免許が取れるようになったようです。

「そもそもたった15分くらいの一発試験に受かったところで、技術が裏付けられるわけがない。昔の一発試験組はビックマウスなだけ!技術があるなんて眉唾!!」と多くの方が考えてるのかもしれませんが、それも致し方ない。 そもそも試験組が大型バイクに触れるのは、理論上は試験場でだけなんです。

だから今の大型ライダーからしてみれば、昔の試験組は「大型に乗ったこともない奴らが出たとこ勝負でチャレンジしていた試験」であって、合格はある種のまぐれであり、「実際に大型バイクを使ってみっちり教習を受けている今のライダーの方が技量がある。」と思う方もいるかもしれませんし、その考え方は誠に正論。

でも、そのような試験の妥当性の評価はともかくとして、当時の限定解除試験のハードルは異様に高かったことだけは間違いない。その理由は大きく二つ挙げられる。

まず、大型にチャレンジする人は「中型にみっちり乗って運転に相当な自信を持っているライダーだった」ことが理由のひとつ。

当時は今より中型バイクのラインナップが圧倒的に充実してましたから、中免でもバイクは選び放題。「よっぽど欲しいバイクでもない限り大型免許は不要」といってもいい状態でした。そんな中で、あえて大型に挑むのはそれなりに腕に覚えのある猛者達だったわけです。

そして、もうひとつの理由は合格率。「7%前後の合格率は、まぐれを決して許容しない」

合格レベルの技量がある20%くらいの人達から、さらに半分以下に絞り込むんで、まぐれの余地なんかない。私も仕事で大型が必要じゃなかったら、めんどくさすぎて受けてなかったと思います。なんせ限定解除試験は「底なし沼」と呼ばれてましたんで。

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(我らの戦場、府中試験場。ここで悲喜こもごものドラマが展開されてました。とにかく、すっげぇ緊張するんですよ。だって落ちちゃうと、はやくて2週間、長いと1ヶ月くらい試験予約が入らない。4回目で合格しましたーっていってもその間3ヶ月以上かかってる。もう今日で解放されたい!!って思えば思うほど、ブルッちゃうし、痺れちゃうんです。)

何年受けても合格できない人も多数いて、諦めた人も枚挙にいとまがない。私の受験してた府中試験場では毎回60人くらい受けて、受かるのは3人~5人。試験コースを完走する人自体がまれでした。

日によっては試験はじまって30人連続で合格者が出ないこともあったりして、全体がくらーい雰囲気になってくる。そんな中、完走し、合格すると、「〇〇番、待機室へ~」みたいなアナウンスが流れて、待っている受験者がワーーーッとみんなで拍手してくれるんです。試験場の外で試験の様子を見てる一般ギャラリーも一斉に拍手。もう独特の雰囲気なんですよ。

当時の私はバイク店勤務だった関係で、業務には大型免許はもう必須。店長から「1年も2年もかけてられないでしょ~。役立たずは首切っちゃうよぉ~(笑)」なんて脅され、大型バイク一発試験専用のライディングスクールに強制入所させられたんです。

「あそこはいいよぉ~。確実に大型取るなら入らなきゃ~♡」と店長が太鼓判を押すもんですから、「そ、それなら行ってみようかにゃ・・」とスケベ心を出したのが運の尽き。

そのスクールは「府中試験場のコースが完全再現されてます」というのがウリで、私は、再現コースで予行演習さえみっちりしておけば、「限定解除試験なんて余裕!見える!見えるぞ!大型バイクに乗ってイキり散らしている私の未来がっ!ぶぁーっはっははは!!」ともう勝った気でいたんです。 

しかしいざ入校してみるとスクールの教官はあろうことか「白バイ隊員」、中免小僧の天敵じゃねーか。中身は「さぁケツを出せ!社畜ども!!教育の時間だ!!」とばかりに、これまでの自己流わがままライディングを矯正していくブートキャンプ。

このスクール、限定解除試験に合格できるレベルになったと教官に認められた時、はじめて試験にGOサインが出ることになってて、入所時に「許可でるまで試験を受けちゃダメ!!絶対!!」という、悪魔の誓約書を書かされる。どこぞの勇者王の合体のように承認制になってるんです。

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(勇者王ガオガイガーから、懐かしの「ファイナルッフュージョンッ!承認!!」当時多くのイラスト描きが大河長官を見ながら指さしイラストを描いたに違いない。)

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(・・・からの「プログラム、ドラーーイヴッ!!」という完璧な流れ。毎週合体する度にスイッチの保護カバーを叩き壊すんですが、一切の道具を使わず正拳で挑むミコト嬢の心意気。勇者王の世界はこうでなくては。)

途中で抜け駆けして試験受けてる奴もいましたが、なぜかスクールにキッチリバレてお説教。なんでバレるの?KGBかよ(笑)。

現在の個人情報保護法下では許されざる情報漏洩ですが、よく考えりゃ運転免許試験場なんて警視庁の天下りの温床なんですから、情報の横流しも簡単だったのでしょう。

入所後しばらくは、廃車寸前のCB750Fでフルロックターンの8の字ばかりひたすらやらされる。そもそも、スクール見渡しても査定もつけられないようなボロバイクしかないわけだが・・・?これって、以前使ってた大型試験車両のお下がりだよね多分・・。私が最初に乗ったCB750Fなどシートのロックが馬鹿になってて、シートごとズレていくんで強制ニーグリップが必要になる。メカの不都合はライダーの気合と勇気で補えと言うことですか!ますます勇者王ですね!わかります。

なんとか8の字ができるようになると、今度は左手を挙手してアクセルワークだけでフルロックの8の字をやらされる。はじめはゆっくりなんですが、慣れると教官のスピードがどんどん速くなって結構な高速8の字になるんですよ。もうね、アクセルワークで車体をぐわんぐわんと起こさなきゃならないし、ガッチリニーグリップしないと体支えられない。

上級者用の8の字コースでは笑っちゃうような勢いでバイクがグルグル回ってんですよ。授業参観で親にアピる小学生みたいに手を挙げながら、トムとジェリーみたいなスピードで8の字やってる異常な光景を見て「はわわわ・・なにココ・・怖い・・」と入所5分ではやくも皆腰が引けてしまうわけです。


(白バイ隊員の教習所なんで、こんな感じの8の字を延々やらされるわけですよ。CB750FはVFRほどペタペタ寝ないし、ここまで高速じゃなかったですけど、リズムや切り返しの動きはほぼ一緒です。こういうの見ると当時を思い出しちゃいますが、今やれって言われてもねぇ・・。)

私もえぐえぐと8の字描きながら「こんなの試験に関係ないのにぃーーっ??いいかげんにしろーーーっ!!」と心の中で叫んでましたが、大型バイクを低速で華麗に操る基礎ができないと試験コースをまったく走らせてもらえない。

でも今思えば、それが合格のために必要だったんですなー。

当時は合格方法を記載した本なんかも山ほど出ていましたが、それ読んで合格できるんなら合格率7%なんてことになるわけがない。腕自慢のライダー達が受験料を払い会社休んで、目とんがらせて走ってるのに、この合格率ってのは、すなわち「何か特殊な裏基準がある」ということを示してるんです。

私が見る限り、府中試験場の上位3割くらいのレベルはかなり高かった。しかし、技術的な課題をソツなくこなしても、バッタバッタと落ちていく。周回路にすら出られないんですよ。

激戦区の府中試験場で合格するために必要だったのは課題をこなしながら「いかに元気よく、華麗に車体を躍動させるか?」っていう部分だったんです。教習所で行っている中型免許試験が「試験コースの課題をしっかりこなせば合格」っていう基準だったとすると、限定解除試験は、「与えられた課題をこなしつつ、どんだけ芸術点を稼ぐか?」っていうものだったわけです。

でもそこに気づかず、「限定解除は中型卒検の難しいやつだ」と勘違いした受験者は、なぜ自分が途中で、「はい〇〇番戻って~」と言われてしまうのかいつまでたってもわからない。

私は4回目で合格したんですが、その間、私が見た合格者は、技術もさることながら、躍動感が頭一つ抜けていました。エンジン音聞いてりゃわかるんですよ。アクセルの開け具合のメリハリが。もう排気音が鮮やかでリズミカルな音楽を奏でてる。合格者は試験に求められてるプラスアルファがちゃんとわかってて、ミッチリ練習し対策してきてたんです。

受験者の中には私と同じような「大型バイク虎の穴」で修行してきたと思われる連中が、見たところ10名くらいは含まれていて、そういう奴らが芸術点で合格枠を食い合っていたんで、憧れだけの徒手空拳で挑んだ人が受かる確率なんて鼻クソ以下だったんじゃないかと思います。

踏みつけ3
(で、コレが今の私。ダイナに罵倒される程度の能力。心のたるみと共に技術は錆びつく。それが真理。ちなみにビブラム100ソールの裏見る度に「踏まれたい」と思う私は変態だよね。)

私は「昔は良かった、今の教習システムは生ぬるい」って考えてるわけじゃ全然ない。昔のシステムはクソだった。「合格基準のからくりに気づかない人は何回受けようと完走すらできない」という不透明さは許されるべきじゃないと思う。教習所の卒検では無難に走れ!と教えられ、いきなり別基準で芸術点どうぞ!と言われても対応なんかできませんよ。

試験に安くない金取ってるんだから、合格に必要な要素と基準はちゃんとアナウンスしないと不幸な人を増やすだけ。でも昔は暴走族対策という名の下に合格者が不当に絞られ、不幸の量産が許されていたんです。

私はこういうの、ものっっっっっっっっっ凄く嫌いなんですよ。 こんなの単なる国家の横暴。日本で大型バイク売るのを許可してるんなら、乗る権利も保障するべきなんです。

そもそも一発試験って矛盾してますよね。だって、「大型免許取れないと大型乗れないのに、大型バイクを自由自在に操れるわけがないだろ!!」って誰しも思うはずです。そんな馬鹿げたルールに、訳のわからん合格基準。これじゃ合格率が上がらないのは当たり前。アメリカさんに「なにこれ?バカなの?」ってツッコまれて論理破綻するのも当然です。

免許制度としてどっちが正しいかというと、いうまでもなく今の教習所システムの方が絶対正しい。さらに言わせてもらえば大型試験なぞ、そもそも不要

だって中型乗れれば大型フツーに乗れるでしょ?操作なんて一緒だもの。スピードだって400ccならリミッターにあたるくらいは軽々出ますし、大型バイクだけが取り立てて危ないわけじゃない。

私はATとマニュアルで免許をわけるのならともかく、「排気量で免許を分ける必要なんかない」と思ってます。250と400で車検の有る無しが別れてるのも意味わからん。合理的な理由を誰か説明してくれ。

だんだん語り口が熱くなっちゃいましたが、この駄文の結論として「今の大型ライダーと昔の大型ライダーどっちが技術があるの?」って問われても、そんなのわかんない。そもそも乗ってる所作見りゃ一発で技量がわかっちゃう嘘のつけないバイクの世界で、過去の栄光で差別化しようなんてもうまったく意味がない。

バイク乗りとしていっぱしになろうとすれば、自分のバイクと対話しながら、真摯にひたむきに乗りこんでいくしかないわけで、バイクとの長い旅路の中での通加点にすぎない試験制度に重要な意味なんてケツの毛ほどもありません。

今となっては遠い過去の一発試験なんて、遙か昔からずっと大型バイクに粘着し続けているという事実証明に過ぎない。技術については「今の俺ってどう?・・あ、あの・・乗れてる・・かな・・??(伏し目がちに目を背けながらモジモジする)っていうのが全て。

過去はどうあれ、バイクってのは生涯鍛錬、今乗れてなきゃ過去の栄光なんて意味がないんです。それが、この問題についての私の見解でありますね