ハーレーは、いつの頃からか「宗教である」などと呼ばれちゃったりしてますが、今回はハーレーは宗教か否か?ってとこを掘り下げてみたいと思ってます。

結論から申しますと、ハーレーは宗教ではありません。しかし、宗教のように見えるのもやむを得ないと私は思ってます。だって販売現場において、顧客を囲い込んでいくと、自然に疑似宗教化していくからです。これは多くのハイブランドが実践していることで、特段珍しい手法じゃありません。

ハーレーはバイクそのものではなく、「ハーレーに乗って、格好良く楽しく生きる」ってことを目指すべき教義にしてる。生き方には速い遅い、上手い下手ってありませんし、バイク乗りをリスクの高いスピード競争に駆り立てるものではないため、社会的理解も得られやすい。

教義の布教も、見本になるような自己啓発本が山ほどあるんで、それを真似るだけ。要は「ハーレーで自分はこんな格好良く変わりました!」って奴をメディアを使ってどんどん広めてやればいいんです。

ハーレー黄昏+2
(いつも通りの挿絵の下描き。正面からって結構バランスが難しいんですよ。)

教義を広めたら、次はそれを実践する場を作らなきゃならない。これがなくっちゃ真の囲い込みにはならない。ハーレーは都合のいいことに、この部分が非常に優れていました。ハーレーは汎用性が高い旅バイクなんで、千鳥を組んでのロングツーリングや、多人数キャンプという特殊体験とバイクを密接に結びつけることができる。

キャンプなどに誘い、ハーレー乗りの交流機会を沢山設けることで、各々が教義を実践した成果を披露する場を作り、熱を盛り上げ、維持し続けることが可能になる。これは宗教で不可欠な「儀式」と呼ばれる実践体験と類似しているわけです。

こういう特殊空間を作ってファンを誘導し、そこで販売機会を確保して「〇〇さんにはこれがお似合いですよ~」と魔法の言葉で商品を勧めれば、人は割とあっという間に陥落しちゃう生き物なんです。

「いやいや、そんなことないでしょ?」っていう人もいるかもしれませんが、ブランドの販売員は販売手法や口説き文句を熟知してるプロ中のプロ。彼らは「所属するコミュニティにとって特別な存在でいたい」という顧客のプライドと願望を言葉巧みに金に換える。毎年バイクを買い換えているお得意様は大体このパターンですね。

有名百貨店内のハイブランドなんて、年に1回、外商が顧客相手に行う数日のフェアで年間売り上げの6割近くを売っちまうんです。外商顧客が集うフェアでは「貧乏くささは恥」と感じてしまうような特殊フィールドが展開されてますんで、財布の紐は全開。高額商品が山のように売れていくわけです。

そういう浪費時空を展開するには、まずは帰属意識の高いコミュニティが必要不可欠です。だからハーレーは創業100年という歴史の正当性を前面に出し、教義を作り、儀式の場を作り、寺院を作り、コストをかけて信者の囲い込みをやったんです。これを図式にしますと、

仏像=ハーレーの各モデル
信者=ハーレー乗り
聖典=バイブス等の専用メディア
儀式=キャンプミーティング 
寺院=小綺麗なハーレーディーラー

ってことになる。つまり、ハーレーは宗教化を意図的、戦略的にやったメーカーなわけで、宗教のように見えるのは当たり前なんですよね。

手間暇をかけた特殊空間の中で、ハーレー大好きな人たちは、いかにハーレーが素晴らしいかを語り合い、ハーレーのある人生を賞賛し、それを書き綴った書物達はどんどん分厚くなっていく。ここまで来ると、ハーレラバーズが勝手に価値をどんどん創造してくれるから、後は何もしなくてもフランス革命前夜みたいに強烈な速度で思想が伝播していくわけです。

そこで積み上がった賞賛は「ハーレーを選択した正当性をガッツリ補完し、乗り手の自己満足に繋がっていく」というプラスの効果を生み出している。これによってハーレーの販売が好調を維持し、コミュニティー内でのハーレーの権威は強化され、ハーレー専用誌も売れる。だからバイブスなどのメディアはありとあらゆる修辞のテクニックを使い、ハーレーとハーレー乗りを特別な存在に仕立て上げるわけです。

でも、水ぶっかけるようで申し訳ないですが、「バイクに乗って人が格好良く変わる」なんてことはまずありません。例え変わったとしても、それは外ヅラをやせ我慢して整えてるだけ。そもそも物欲で人が格好良くなり、特別な存在になれるっていうのなら、私はもう宇宙大魔神になってなきゃおかしい

私はこれまで、あまたの業界で、計算された販売手法に取り込まれ、脱水槽にいれられた雑巾のようにカラカラにされてきたんで、そんな都合のいい未来はもう見えない。どんなに金ツッコんでもクソザコナメクジな私自身を変えることなんてできないんですよ。


ハーレー黄昏8
(自分がダメ人間だと心の底から理解し、諦めの境地に達すると、哀れみの目で罵倒されるのが快感になってきます。昔、若い子に罵倒されて「ヒャヒャヒャ」と喜ぶ爺を見て何じゃあの変態は・・と思っていましたが、変態性癖は人間が枯れてから。)

バイク乗りだって、ハーレー乗ろうが国産乗ろうが、ネコグルマに乗ろうがパトカーに乗ろうが、根っこなんて変わんない。ハーレーに乗ってカッコいい人は国産乗ってもカッコいいし、私みたいにカッコ悪い人間は、何乗ってもカッコ悪いっていう、現実はタダそれだけのことなんです。

でもハーレーって、雑誌などのメディアを総動員して、「ハーレーに乗れば人生が変わる」という印象を与えてますよね。

私はハーレーを愛することによって、その人が気分良く生きられるんなら、それはそれで素晴らしいことだと思っていますが、その一方で多くのブランドは、ブランドの持つ価値や権威を自分に投影することによって、ひとときの安らぎと満足感を提供するという強い幻覚作用を持ってるんです。

ハーレーのミーティングでは、現実世界のヒエラルキーはリセットされ、ハーレー世界のヒエラルキーが適用される。そこではアルバイターが大企業の社長にハーレー道を語るという現実世界ではあり得ない下剋上も起きたりする。それはとても楽しくて、居心地のいい空間なんだと思います。その世界の中にはハーレー好きしかいないし、そもそも楽しく過ごせるように入念に企画されているわけですから。

私はそれを全然まったくこれっぽっちも否定しない。そういうのは大事なサービスの一つだし、ひとときの安らぎや気晴らしは豊かに生きるためには絶対必要なものですから・・・。でも、人はいずれは必ず幸せ空間から離れて現実に戻らなければならない。

「最近のハーレー乗りは週末だけのコスプレ野郎だ!」という人がいるけど、私から見れば、ハーレーを楽しむのは週末だけで、ちゃんと自分の世界に戻ってこれる人の方がよっぽど正常。

逆に毎日朝から晩までハーレー一色という世界にいる人って、どんな生活してんだよと。ハーレーワールドっていうネバーランドに異次元召還されて戻れないだけなんじゃないか?って思う。

一部のハーレー乗りやメディアが語る「ハーレーは人生だ!」という熱~いフレーズに私はとても危ういモノを感じる。「ティファニーは私の人生なの~♡」っていいながら、上から下までティファニーで固めちゃってる人と同じヤバさを感じるんです。

ここまでネガティブなことばっかり書いているように見えるかもしれませんが、私自身はブランドの世界に浸って「夢を楽しめる人は豊かでうらやましい」と心の底から思ってる。私は悪い夢を長く見過ぎてしまって、自家中毒をおこしちゃってるんですが、中毒さえ起こさなければそれは有益なもんなんです。

胡蝶の夢のように、夢の中で蝶になろうが人になろうが、束の間のひとときが楽しめればそれでいい。でも覚えておいて欲しいのは「夢はいつか覚めるべきものであって、覚めない夢こそ真の悪夢」ってことです。

シンデレラは12時で魔法が解けたから、リアルなシンデレラが幸せになれたわけで、魔法かかりっぱなしだったら、もうリアルには戻れない。楽しい夢は現実とかけ離れていればいるほど、長く見てると自家中毒を起こしてイタい人間になる。

宗教というのは、人を現世の困難から解放し、救済の世界に誘うための壮大な舞台装置なんです。そこから得られる感動体験がピークを迎えると脳内麻薬がドバッと出る。それをまるっと真似たのがブランドなんで、ひとときそれを楽しむ分には最高だけど、どっぷりと浸かっちゃうと、その素敵な世界に貢ぎたくなるようにできてるんです。

そもそも宗教では物欲という煩悩は人が捨て去るべき悪業なわけです。古来より宗教は物欲から人類を解放するために、多くの人々に教えを広め、この世に救いをもたらそうとしてきました。

その一方、人の物欲から生まれしブランド達は、宗教が生んだ「人を感化するシステム」を模倣し、人々を高額消費に駆り立てている。そのしたたかさは、人類を滅ぼす使徒から人型決戦兵器を作った「どこぞの特務機関の総司令」を彷彿とさせる。

怒り
(このオヤジ、常にアナタの財布を狙ってます。)

だから、ハーレーは宗教に見えても、宗教とは似ても似つかぬものなんです。信仰の先にあるのは高額消費と引き換えのニルヴァーナ(魂の解放)しかない。そしてそのニルヴァーナに長く浸りすぎるとやがてコキュートス(地獄)に落ちることになります。

まぁつまるところ、消費も、投資もタバコも酒も女も、中毒性のあるものは夢を見すぎることなく「御利用は計画的に」 
それが、資本主義社会を穴に落ちずに生き抜くための絶対的条件だと私は思うんです。








(・・・後ろから何かの気配がする・・・)

「はぁ??何これ??スマホのガチャゲーに竜巻のように金巻き上げられてるお前にこんなこと言う権利があるのか??こんのクソバカぐぁァァァアアアアアアア!!!」

・・ああ・・格好良く締めたつもりが、あまりにも厳しい地獄突きのような妻の突っ込みが喉元にブスリと入ってしまい、致死量のダメージ値が計上されました(吐血)。お恥ずかしいですが全て事実。そう、私は懲りることのない真正バカ。はっきり言いましょう!

知識があったって我が物欲の前ではそんなものは無駄である!知識より欲望!!だってそれがバイク乗りの正体なのだからァアア!!物欲王に俺はなるっ!!

我ながら実に清々しい馬鹿っぷり。でも、負け惜しみじゃないですが相手側の仕掛けがわかってるのとわかってないのでは、結論は全然違う。私は消費にとって一番大事なのは、消費しないことではなく「決して後悔しないこと」だと思ってるんです。私がいろいろ分析してるのは消費を止めるためではなくて、盲目になって後悔しないためです。

裏舞台の一部始終を知っていて出した金は「自分が望んで出した金」であって、けっして「巻き上げられた金」じゃない。昔は訳もわからず金巻き上げられることばっかりでしたが、今は少なくともからくりだけはわかってる。これって、私の中では納得感に天と地ほどの違いがあるんです。まぁ結局、支払う額あんまり変わんないんで、妻に殺処分されることは同じなんですがね、ええ・・・。

(先月の携帯引き落とし額を確認した妻がメロン熊のような表情で迫ってきてますので、ここから先はお見せできません。ごめんなさ・・ぎゃぁあぁああああああ!!ビシャッ)(←大量の血しぶき)

メロン熊
(一片のユルさも感じられない夕張市のゆるキャラ「メロン熊」。怒り狂ってるときのマイワイフに激似。それでは皆さん、来世で会いましょう。さよ~なら~。)