独断と偏見に基づくハーレー分析その3です。

今回はハーレーの旧車信仰について、私なりの視点で分析を加えていこうと考えてます。私は一時期中古バイク店に勤務していましたんで、どっちかというと売り側の見方が強いかもしれませんが参考になれば幸いです。

まず、最初にいっておきたいのは「パンやナックルはやっぱ素晴らしい」ってことです。これは決して否定しない。何が素晴らしいかっていうと、一つ一つのパーツの作りです。なんせコスト意識がない時代に造られたシロモノですから。

機能性は現代のバイクに遠く及びませんが、昔の高級品の作りの丁寧さって凄い。時計にしてもバイクにしても、昔は庶民の持てるものではなかった。はるか昔、それらは一般人が到底手が出ないほど高額なものでした。年代が遡れば遡るほど、機械ものは一部の人にしか買えなかった超高級品になっていく。

たとえば、戦前の機械式の腕時計の一流メーカーものは下手すると家が一軒買えるくらいの価格だったんです。そんな代物ですから、全てのパーツが手作業で磨かれ、すりあわされ、異常なまでの手間暇をかけて作られてる。特に戦時中なんかは高額商品が売れないから、注文が入ると一つ一つの製品にメチャクチャ時間がかけられる。

だからこれ芸術品?工芸品??手を掛けすぎでしょ??っていうような珠玉の仕上げがなされた機械がたまにある。そこから生み出されるオーラは現代の機械には絶対にないものです。ハーレーでいうとパンヘッドあたりまでが、そういう色気があるといえるんじゃないでしょうか。空冷フィンの細さと精緻さ、可憐さや、パーツの滑らかで柔らかい曲線はメカフェチにはたまらないものがある。

ナックルヘッド
(ナックルヘッド。今の大量生産と一線を画するパーツ造形の素晴らしさがあります。この頃のパーツはコスト意識がほとんどなく、妥協もない。これらのパーツの曲線や滑らかなラインが身もだえするくらいエロい。金属に色気のようなものが宿ってるのがこの頃のハーレーの特徴で、これに大枚をはたく気分はわかる。)

しかし、一方「旧車という夢のある言い方」をやめれば、「70年落ちのド中古」です。中古っていうのは今あなたが乗っているバイクがそのまま売りに出たもの。使用中の愛車は1年1年ヤレていってると思いますが、70年後の愛車の姿、それが旧車そのものなんです。旧車を語る上で、その本質を決して見失ってはいけない。

よくハーレーの旧車で「エンジンが止まっちゃったんで、道ばたでポイントのコンデンサ取り替えて、また旅を続けたヨ」みたいな話がありますが、今のバイクでそんなことになったらボロクソにいわれますよね。でも旧車だとそれが自慢めいて語られる。

私は旧車であろうが新車であろうが、走るということに対しては、決して区別して語らないし、容赦もない。旧車だから止まっても許されるということは私の中では絶対にないんです。それが私というバイク乗りの評価基準なんで、ハーレー、国産に限らず旧車に対する私の評価は厳しくなるんです。

そもそも、この世の中で中古車流通がなぜ成立しているか?理由は簡単、「新車より安い」からです。中古車っていうのは新車より信頼性が低く、新車よりパーツがやれていてメンテナンスに金がかかる。年代が古ければパーツもない。しかし、それを補って余りあるほど安く手に入るという「絶対的で明確なメリット」がある。それが中古車の本質なんです。

だから、中古車で美味しいのは3年落ちとか5年落ちの低走行高年式中古。信頼性も維持されていて、メンテも新車同様にできるのに、価格は新車よりグッとお値打ち。元中古バイク屋店員としては、皆様には5年落ち位までの中古をオススメします。これが経済面から見た中古の鉄板買いのあり方です。

新車より高い旧車なんて、「入手コストが安い」という中古車にあるべきメリットがなく、信頼性は最低、維持費も高額で、修理期間も長いという「絶対に損をすることが確定している異常な存在」です。しかし、このデメリットが覆るパターンというのがひとつだけある。

それは、その中古車が「異常人気になるとき」です。そのバイクについて市場にあるタマ数以上に欲しい人がたくさんいて、価格が上がっていく場合、絶対損を補う投機的価値が出てくる。内包される絶対損を「イメージという形のない価値」で補っているから価格が上がるんです。

私はこういうイメージによって得られる満足感を全然否定しないし、「それが商売の妙味だ」とも思ってますが、そういう素敵な魔法は「自分の感性で自分自身にかけたい」わけですよ。(そうすると変態バイクばかりになるんですが・・)

メディアや第三者が作ったイメージ価値は、催眠術や魔法のようなもので、その魔法のからくりを知ってたり、そもそも魔法がかかる前の姿を知っている人にとっては、効果がほとんどないんです。

今カワサキのZ750RSがもの凄い価格で売られています。高い奴は500万円超えてますね。でも、私が中古バイク屋にいた頃はゼッツーなんて40万円もあれば程度の良いのが買えました。

四国からZ750RSの極上車をタダ同然の価格で買い取ってきたとき、店長が「いや~懐かしいね~!四国まで行って貰って悪かったね~。あんま売りたくないし、50万位で飾っとこうか。」なんて笑ってましたが、私はそんな店長をジト目で眺めながら「店長~、こんないつ止まるかもわからない骨董品に50万円も払えませんよ~。これ買うんなら絶対新車のゼファー750にしますって。」ってクサしてたんです。

Z750RSが当時から評価が定まった名車であることは疑う余地もないんですが、私は当時お店のバイク買取スタッフやってましたので、間違ったものを買わないように「程度でバイクを見る」っていうところを徹底してました。そんなリアル目線の男には夢という魔法がかからないので、名車を前にしても古すぎるバイクという認定しかできなかったんですね。

比較させられたゼファー750も今100万円とかになってて、腰が抜けそう。20年落ちくらいになった今、新車以上の価格でゼファーを買うかっていうと、私の中ではそんなのあり得ない。半値でも考えちゃう。

ダイナ リアル3+1
(今回も挿絵はイラスト。コンセプトはアメリカのギャング的な雰囲気のダイナ嬢。ハーレーって強面に見えますが、実はかなり抜けてて愉快なバイク。でも、こっちの方が一般的なハーレーのイメージなんでしょうね。)

このような旧車人気はフツー特定の一部車種に偏るんですが、ハーレーの場合は、旧型のエンジン自体に価値がついているんで、もの凄いことになっている。要は「古ければ何でも良い」的な感じになってるんですね。

今のショベルの価格だって、ショベルが新車で買えた頃からのハーレーファンなら、「は?なんでこんなのに大枚はたくの??」って感じじゃないでしょうか?AMF時代のショベルは、あまりにも壊れまくるんで「アメリカン・マザー・ファッカーの略がAMFだ!金返せ!!」って言われてたくらいの低品質なんですよ。

ショベル乗りがエボやTCやミルウォーキーをクソというなら、当時のショベルは鼓動感なんかで擁護できないほどのクソ中のクソです。当時クサされていたものが40年後の今になって最高のものに変化するはずなんかない。

信頼性の低下や維持費の増大というマイナス面を補って、「旧いエンジン積んだバイクが新車より価値がある」なんて特殊な価値観を当たり前のように流布するのは、多くの人に経済的な打撃と後悔を与えるだけで、「無責任この上ない」と私は考えてます。旧車で新車を上回るような価値を私が認定できるとしたら、歴史的価値があるほんの一握りの名車が大事に大事に維持されてきたパターンだけです。

さて、これまで申し上げてきたことが、中古市場の真理であり、中古業者もそれはわかっているはず。しかし、このような現実を差し置いてなお、ハーレー内で旧い個体が新車の上位であるという価値観が存在しているのは何故なのか?それは、

「ハーレーの中古業界が生きて行くにはそういう価値観を成立させるしかないし、そうした方が都合が良いから。」

だと私は考えています。当然ショベルやエボに新車からずーっと乗ってるハーレー好きの方もいらっしゃるでしょうが、それはほんのごく一部で、圧倒的多数は中古を購入している、ニワカ衆です。(私は永遠のニワカ衆ですが・・)

現代のハーレーはアウトローなんていいながら、ホワイトカラーのお金持ちが買う「欲望の器」的なものになってます。で、そんなお金持ちは中古なんて買わないんですよ。最高の物が欲しいんだから、常に新車の高い奴なんです。

新車しか買ってもらえないんじゃ、中古市場が成立しない。だから、ハーレーみたいに「俺スゲェェェエエェェエエエ」っていうパワーゲームがしたいバイクで、中古を売るには「中古スゲェェェエェエエエエ!!」っていう価値観を成立させるしかないんです。

普通の中古市場は「いかに中古がお買い得か」を前面に出していくところ、ハーレーの中古市場は「いかに古いものが素晴らしいのか」を前面に出していくことになる。イメージ価値を増大させなきゃ、絶対損が確定している高額中古が成立しない。幸いにもハーレーはスピードが価値観じゃないから、やりようによってはそれができちゃうんですね。

でも現実にはそんな夢のような話があるはずがないし、古いものが最高だと言うんなら、今のハーレーはもうとっくに潰れてます。



main_new
(これはパンヘッドの腰下を流用したアーリーショベル。パンやナックルに比べると、さすがに強烈なエロさとオーラはなくなってきてる。私ならショベルに中途半端な金額を投入するんなら、全財産はたいてナックルかパンに行けとアドバイスする。私にとってナックルやパンの価値は希少であるとか、鼓動があるとかそんなことではない。人が作った純粋な造形物としての価値があの年代にはあると思ってる。それはパーツの一つ一つに宿る原始的機械の優しさや美しさ、モノ作りのあり方の価値なんです。)

現状ハーレーの中古市場は「洗練された新型エンジンより荒っぽい旧型のエンジンを賞賛しまくる」ということになってしまっていて、それを信じた一部の人達が、新車より高い金を出して旧車を購入し、苦労しながら維持し続け、業界全体でその苦労を「ハーレー道」なんて言って賛美し、正当化してる。

私に言わせれば壊れる機械に情けなど無用です。壊れる機械や滑るタイヤに乗ってる人のほとんどが金がなくって買い換えられないからで、それはアリでしょう。しかし、金がある人がポーズやファッションで壊れる機械に乗ってるなんてバカバカしいですし、旧車で苦労して悟りを開けるんなら、中古車屋のオヤジはみんな聖人になってます。

この点でもハーレーは市場価値観の上書きに成功してるんですね。いや、そういう意味ではハーレーっていうメーカーは凄いです。でも私は旧車信仰を評価しません。私の価値評価は「それが顧客のためになるのかどうか?」の一点で、行き過ぎた旧車信仰は乗り手の負担を増やし、不幸を招くだけだと考えているからです。

いろんな雑誌で幻想を作り上げ、旧車上位の価値観さえできてしまえば、中古業界はそこを徹底的に煽って利益につなげる。実態は海外から埃かぶったショベルを激安で仕入れてきて高値で売り抜けてるわけで、その利益を手放したくないから、旧車への賞賛は続き、誰も本当のことを言わなくなる。

ナックルなんかは「ハーレー大好きな人は、あれを欲しいのはしょうがない」と思うし、売るときも十分価格はつくでしょう。でもショベルやエボはそうじゃない。その価値が現行車以上だなんて言われると、「中古業者の鼻薬がききすぎなんじゃない?」と思っちゃう。

旧車に良いところがあることは認めるけど、「旧車が現行車を馬鹿にするってのはありえない」と私は思う。だって、この世の機械には2つしかない。壊れる機械と壊れない機械です。壊れた機械はタダの置物、鉄と同じでキロいくらです。時の流れは残酷で、機械は年を経る毎にそれに近づいていくんです。

バイクなら何でも好きな私の認定するダメバイクの筆頭は壊れるバイク。さらに最悪なのが壊れて直らないバイク。一番最悪なのが、壊れて直らないのに価格が高いバイクです。そこは決して譲れない。そこを緩めちゃうと、「どんなポンコツでも許容します!」ってことになっちゃって、修理費で破産するおそれがある。

壊れ続けるダメバイクを、なお許容し、愛し続ける要因があるとしたら、それは長年乗って形作られたバイクへの愛着か、そのバイクへの強い憧れか、歴史的価値くらいしかない。

旧車を新車同等の高値で買うときはこのうちの「強い憧れ」や、「歴史的価値」を重視することになるわけですが、頭の中で膨らんだ憧れなんて故障というリアルが続けばあっという間に霧散しちゃいますし、真に価値ある骨董品とガラクタの違いを見分けることは一部の識者にしかできない。

私は自分の評価しか信用しないから、自分の物差しではかれないものには手を出さない。そんな私にとって、改造や社外部品、ワンオフのカスタムパーツなどが蔓延し、オリジナルから遠い姿となってしまってるハーレーの旧車の世界は「魔物たちが跋扈する偽りの黄金郷」のようにしか見えないんです。

私は旧車を否定しているわけでも、新車を持ち上げているわけでもない。年数落ちに応じた妥当な価格なら旧車も全然悪くないと思ってるんです。でもショベルあたりの旧車の価格はどう考えても高すぎる。ショベルの信頼性を知ってるから、絶対損がデカすぎて価格見ると目眩がする。それなら新車買って、安心してアクセルをひねる方がバイク乗りとしてお気軽にバイクライフを楽しめるんじゃないかと思っているんですね。