前回に引き続き、いろんな視点からハーレーの真実を暴く、独断と偏見のハーレー分析論・その2です。

今回はバイク乗りたちの逃れられない性癖というか、人の業のようなものから「ハーレーがなぜ売れたのか?」を分析しています。一部のバイク雑誌に書かれているようなハーレー賛歌のようなものにはなっておりませんのでご注意を。

それでは本題。

若い世代のバイク乗りの方はピンとこないかもしれませんが、1980年代から1990年代にかけて、あちらこちらで公道レースが日常的に行われているという、ちょっとおかしな時代がありました。

その頃の私の頭の中は「公道レースで如何に相手に勝つか」ということで一杯だったりしたわけですが(その当時の私のアタマの中を赤裸々に描いたブログはこちら→中二病患者と爆炎の剣)、こんな危険で無益で不毛な戦いがいつまでも続くわけがありません。

やがて公道レースの原因となったレーサーレプリカブームは呆気なく終焉し、本来のバイクの姿であるゼファーやXJRなどがまっとうに売れていくネイキッドブームに移っていきます。だからといって、バイク乗りが改心したなんてことはなく、それまでの所業を反省し、少し大人しくなっただけ。バイク乗りから攻めっけを取ったら何も残らない燃えカスですから(笑)。

その頃の大型バイク免許取得は運転免許試験場での一発試験のみに限定され、これが2400円もぼったくるくせに合格率2%という超極悪試験だったこともあり、市中の圧倒的多数は中免ライダーでした。免許制度の弊害により、400ccの枠内で、バイク乗りたちは溢れる欲望に蓋をされ、生煮えのまま、ぐるぐるととぐろを巻いていたわけです。

一方、限定解除試験に合格した大型バイク乗り達は、青天井で好きなバイクが買えたわけですが、「大型に乗ってるってだけでそれなりに優越感に浸れた」ため、こちらも欲望のタガが外れるってことはなかったんです。

しかし、時が経ち、やがて教習所で大型免許が取得できるようになって、大型ライダー自体が珍しくなくなると「免許を持っているだけでイキれちゃう」という時代は終わりを告げる。いよいよバイク乗り同士が真に平等なステージでイキり度を競う「第2次イキリ大戦争時代」がやってきたんです。これがそのまま第2次バイクブームになったと私は認識してる。

独断と偏見2-2+1
(今回も4000字超えと文章が長い・・、ビジュアル面の手当がないと、真っ黒なブログになっちゃう。かといって、私のダイナの写真なんてマンネリすぎて貼ってもしょうがないので、ダイナ嬢のイラストでお茶を濁すのが定番化してます。まずはざっくりと鉛筆下描き。)

しかしバイク乗り同士で優劣を決めるといっても、なにをもって他のライダーと差別化していくのか?

レプリカブームの当時、目を三角にして公道レースにいそしんでいた小僧たちも社会的な責任を伴う年齢となり、昔のように悪行三昧というわけにもいかず、「いやいや、この歳になってスピード勝負もねぇ・・」などとつぶやきだした。

いい大人がリスクを抱えてスピード自慢は青臭い、力押しに頼るなど愚の骨頂。手を汚さず絶対安全圏からイキリ散らすのが、大人の世界ではなかろうか。

そんな狡猾な大人達が、リスクを冒さず、手を汚さずになにを基準に戦うのか?私が考えるに、バイクでスピード以外の勝負しようとすると、「バイクにどんだけ金をつぎ込んだか?」っていう経済力勝負か、「旅行記や、食べ歩きなどの特殊体験」から得た自慢話勝負くらいしかない。

高級車が売れるのも、高級住宅が建つのも、毎年流行のファッションが披露されるのも、グルメ雑誌が売れるのも、結局のところ実用を兼ねた「財力の誇示」「体験自慢」で自己アピールするためなんですね。

この手の多くの高額商品は金ツッコむことにより「安全性」「快適さ」「贅沢さ」「格好良さ」「満足感」の内のいずれか、または複数を手に入れられるようになっているわけですが、バイクは長らくこの論理が機能しておらず、イキり散らすための消費財としてはある種の弱点を抱えていたんです。

一般的なバイクは新車価格が上がっていくと、どんどん高性能になり、エンジンパワーと機動性も上がっていっちゃう。しょうがないのでモード選択によるパワー制御をかけ、ハイテクデバイスを満載して調教するんですが、高性能を追求するほど、バイクとしてのガチ度が高くなるのは避けられない。

時速300㎞を許容するバイクでダラダラ走っても不満がたまるだけ。投下資金に見合った性能を体感しようとすると、それなりのライディング経験値と速度違反の覚悟が必要で、高価なバイクでイキろうとすると、一番大事な安全性と運転免許が危機にさらされかねないんです。

また、バイクに装着されているパーツも販売価格が高価になるほど隙がない。ブレンボやマルケジーニなどの贅をこらした高機能パーツが標準でついてくるようになるので、もはやイジる余地もない。これじゃ欲望の八方塞がり。金に飽かせて「俺スゲェエエエエエ!!」したい人たちには、金も突っ込めず、運転技術のハードルが高く、危険なバイクなんて面倒くさいだけ。

しかし、ハーレーはそんな欲望を受け止める器として、完璧すぎるほどの条件を備えていたんです。

独断と偏見2-1
(ペン入れ終了。ブログ内容と全く関係のないイラストですが、女子の一枚絵に理屈などありません。ブログの看板としてビジュアル的に華やかであることが重要なんです。ハーレーのドレスアップカスタムと基本的な考え方は同じですね。)

ハーレーはCVOを例外として、どんなに高価なモデルを買っても性能なんて上がりません。バイクがキラキラして派手になり、デカくなり、重くなり、快適になるだけ。ダイナからウルトラにステップアップしてもエンジンが同じで車重が増えるわけですから、高額車になるほど逆に遅くなるまであるんです。

天井知らずに金ツッコめるのもハーレーの特徴。ディーラーも新車購入時に電話帳みたいなパーツカタログをプレゼントして、カスタム熱を煽りまくるし、ハーレー雑誌も毎号カスタムパーツの目録みたいになっちゃってる。

ハーレーはアメリカンクルーザーなんで性能度外視の常識にとらわれないドレスアップができるし、遅いし雑だから性能面でもイジる余地がふんだんにあるんで、カスタムに際限がない。カスタムという名目でどんどん金をぶち込んで、己の経済力を見せつけるには、ハーレーはうってつけのバイクなんです。

過去の反省と、免許制度の変革、そして乗り手の高齢化により、バイク乗りの競争は「公道でのチキンレースから、バイクにいくら金をツッコめるかという経済力のチキンレースに変化しつつあった」んです。そこに、最高の器として登場したのがハーレーでした。

私はバイク業界でバカみたいに金を突っ込めるバイクの二大巨頭はモンキーとハーレー(両方に金をツッコんじまった糞バカな私はバイクの宿業に焼かれ、黒焦げとなった焼死体です。)だと思ってるんですが、共通しているのはどっちも性能依存ではないということと、無限といえるほどパーツが出ていて、カスタムがやめられない止まらないってことです。

道の駅でふんぞり返るハーレーが多いのは、ハーレーがバイクというよりもはや「ねぶた祭り」のねぶた化してるから。神輿を派手にデコって練り歩くというのは、日本古来の祭りの世界です。地鳴りのような爆音マフラーは、まさに祭りの大太鼓。ハーレーの爆音は「俺の方をもっと見てくれぇぇええ!」という自己顕示欲の発露以外の何物でもないんです。

人より目立ちたい、より見栄を張りたい、自分を大きく、より良く見せたいって欲求に沿うことは、高額商品やブランド品販売の基礎となっており、商品を売るために男の本能を刺激するのは販売側の常套手段。ちょいワルだって、強くありたいという本能を刺激する調味料みたいなもんなんです。

チマチマ峠を攻めたり、夜陰にまぎれてハイスピードでアクアラインを暴走しても、社会的な成功をアピールすることなどできません。それよりバイクに数百万をどーんと投資する方が、俺スゲェエェ!をアピールできるし、経済もまわる。それは権力者が古来から行ってるアピール手法であり、金の使い方としては王道路線ともいえるのです。

多くの高級ブランドはそんな人の欲望をスマートかつシックに表現しようと腐心していますが、バイクの世界は、まだろっこしい手練手管などありません。剛速球を投げ込んだ者勝ちなので、非常に下世話でド派手でコテコテの世界になっていくんですが、それでいいんです!!

カスタムなんてある一定ラインを超えれば、目立ちたい、イキりたい以外の理由なんかない。だからこそ楽しいんですよ。「いや~このバイク凄いっすね~!!」と言われて「ぶあーーーはっはっは、どうじゃぁああ!!俺のバイクは超スゲェエェエエエのじゃああああ!!!」脳汁ブシャーしたいんです。

人には他者と自分を差別化し、認めてもらいたいという承認欲求があり、最終的にはそれを何で満たすかだけの違いだけ。

命知らずの圧倒的な速さで峠のヒーローになるか?

バイクに金をツッコんでカスタムコンテストの覇者になるか?

全国を旅して回った知識で、旅ブログを書きアクセスを稼ぎまくるのか?

手法は人それぞれですが、自分にしかない優位性によって、第三者に自己アピールしてるっていう点では何ら変わりない。そして、そういう果てのない人の欲望を原動力に世界経済は回ってる。それがこの世の消費における真理であり円環の理なんです。

趣味のバイクは実用性など不要であり、特別な自分を周囲にアピールするには最適です。ハーレーが売れたのは、前回のブログで述べたような思想的な素晴らしさもあるけれど、下世話な話「男の本能を注ぎ込む欲望の器、自己アピールのアイテムとして非常に優秀だった」というのも絶対ある。大人の消費財として必要なのは性能じゃなく、「強烈な個性の器」なんです。それがあったからハーレーは金持ちに売れまくったし、CVOも完売する。

バイクに金をツッコむという行為は、峠を攻めるのと同じで、バイク乗りにとって脳汁が出まくる至上の快楽。この世に生きるバイク乗り全員が背負った業。ハーレーはそれを十分理解した上で、確信犯的にバイク乗りから金を巻き上げたんですよ。なんとあざといメーカーだろうか!!

・・・でもね。金巻き上げられてるのがわかってても、我々は決してそれから逃れることなどできないんです。

理由は簡単。バイク乗りはバイクのことになると、お馬鹿さんになっちゃう生き物だから(笑)。どんなに医学が進歩してもバカにつける薬はない。なぜならバカは病気じゃない。バイク乗りのバイクバカは決して変えられぬ種族の習性なんです。