バイク乗りとしても人類としても脂っ気が抜けてしまった私が最も好んでる季節が「冬」です。昔は冬という季節は寒くてバイクに乗れないので大嫌いでしたが、今は冬の「冷たく澄みきった空気」「清浄で美しい景色」「雲間から優しく降り注ぐ陽光」が大のお気に入り。

「こんな寒い時期に走ってマゾなの?」と思われるかもしれませんが、私はガレージで巨大カウルが売りのF6Bを飼っています。こいつの寒風ストッパーぶりたるや、9回裏に「ハマの大魔神」佐々木主浩が出てきたくらいの安心感。まさに無敵。これ以上デカいカウルのバイクなんてまずないんですから、こいつを無敵の基準にしないと何が無敵なのか?ってことになる。

F6Bの巨大カウルとディーラーオプションのグリップヒーターは、早乙女研究所のバリアのように、物理的に冬場の寒風を無力化してくれるため、冬ツーリングの素敵なエキス分だけが味わえちゃう。6気筒のシャープかつ柔らかな吹け上がりと冬の無敵感のために、この金食い虫を養ってるんだから、ここで活躍してくれないと話にならないんです。

DSC_0026
(前から見ても横から見てもロボットに変形しないのが不思議なくらい巨大。冬になればこの巨体が威力を発揮する。)

冬場最強ってことはひっくり返せば暑いときは全然ダメってことでありまして、夏はカウルが涼風を容赦なくカットしちゃうので、天日干しされてる干物状態。暑さ対策をなーんもせずにF6Bで乗り出すと、「ぎゃぁあぁああ、これじゃサウナで減量中の力石徹じゃん!!タスケテ!!」ってメットの中で叫びながらミイラ化していくことになるんです。

このように、でかいし暑いし重いしトルクバカだし、「もうオマエ完全にバイク界の力士だよね?」ってディスられているF6Bが、名誉挽回、本領発揮の冬がいよいよやって来た。

例年この時期の北陸地方は西高東低の冬型の気圧配置が影響して、どんよりと曇った日が多いんですが、今年は結構晴れている。さぞやF6Bでツーリングしまくってるんでしょう?って思うでしょ。でも違います。肝心の私が「全然休みがとれねぇえぇえぇえぇえええ!!」んですよ。これじゃどんな無敵バイクもガレージの肥やし。こんな不幸ってこの世にない。

冬のキャンプツーリングは雪が降るまでしかできませんし、ゆるキャン△のエンディングのような雰囲気が味わえるのはやっぱ秋の終わりから冬先に限る。この時期は猛烈に「冬キャンしたい!!朝コーヒー飲みながらゆるキャン△のエンディングを口ずさんだり、鼻ずさんだりしたい!!」って衝動にかられるわけですが、週末県外出張とかで全部予定入っちゃってるんで、キャンプなんぞ夢のまた夢なのです(泣)。


(私の中で、冬の名曲として殿堂入りしてる「ゆるキャン△」のエンディング「ふゆびより」。冬キャンプの朝の雰囲気をここまで見事に再現した歌があっただろうか?アニメにおいてこのエンディングが果たした役割は限りなく大きい。)

もうストレスでパンパンになっちゃって「ぐぉおおぉぉおお!!もう限界じゃぁああぁあああ!!俺をバイクに乗せろぉぉぉおおお!!!」と叫びたくなるような精神状態になったため、なんとか3時間ほど時間をこじ開け、風神雷神図のように足を高速回転させながらバイクに突進し、150㎞ほどのツーリングに出かけてきました。

この時期F6Bでダラーッと走ってるといつも思うんですが、凍てついた気温の中、虫も草木も眠りにつき、あらゆるものが活動を停止した世界の美しさって、胸が締めつけられるようですね。中年における「胸の締めつけ」は、感動の場面より心筋梗塞の場面を彷彿とさせ、そのまま臨終のおそれもある危険ワードですが、やはりシュチュエーション的にこの表現を使いたくなる。心も魂も浄化され、まるでサンポールで我が身を洗い流したような澄んだ精神状態に戻れる気がするのです。

ちなみに、わたくし、28日後っていうホラー映画が大好きなんですが、この映画の中で、特殊ウィルスの猛威にさらされて無人のゴーストタウンになったロンドンの街が出てくるんです。これ重要な恐怖表現の一つだったのかもしれませんが、私には別の意味で刺さってしまった。

映像化された死んだ世界の寂静感が忘れられず、頭の中にこびりついて離れない。ウィルスで獣と化した人間達によって無人となったロンドンは、あまりに素敵で、「人がいない風景って寂しいけれど、その一方でこんなに心惹かれるんだ」と思ってしまった自分にちょっと愕然といたしました。

28-days-later1


28日後
(28日後という映画のワンシーン。誰もいないロンドン。恐怖よりも魅力のほうを感じてしまった私はヤバい人なのか?)

そう感じるのは私が病んでいるからなのか?人類という種族がゴミ屑なのか?その両方なのか?については怖い考えになってしまいそうなのでここで結論を出すのはやめにして、冬のツーリングは、そんな無人の風景が目白押し。まず、いつもはバイクでごった返す道の駅に全く人がいません。紅葉をすぎちゃうと雪が降ってスキーシーズンになるまでは山方面に出張っていく理由はひなびた温泉目当てくらいしかないので、車がおらず、店も閉まって、閑散としてます。咳をしても一人。海の方も人がいない。越前海岸の方は蟹の季節でごった返してますが、それ以外の海沿いは本当に静か。

この「人がいない」ってのが、もうなんともかんとも素晴らしい。行楽シーズンのツーリングは対向車線を走ってくるライダーに挨拶したりして、それなりに忙しかったりするし、混雑もあることから意識もいろんなところに分散するんですが、冬場はそれがまったくない。車がほとんどいないから速度調節もいらない。気ままにアクセルを開いて、6気筒エンジンの柔らかいトルクと、魔法の絨毯のような乗り心地に身を委ねて、ゆっくりと無人の地方道を抜けていく。

DSC_0008
(誰もいない静かすぎる海岸線でこんな光景に出会える。これが冬ツーリングの真骨頂です。)

ぶっちゃけクソ寒いことを除けば、ほとんどノンストレスなんですよ。ストレスから解放されるためにバイクに乗っている身としては、これほど精神が解放されて、毒気が抜けていく最高のシュチュエーションはない。

気分は晴れやかながらもとても落ち着いていて、荘厳な海や山々に自分がただ一人で対峙してる。昔から「旅は自分を見つめ直すもの」なんていわれたりしますが、それには邪魔されるもののない荘厳な雰囲気がとっても大事なんだなぁって思う。

いにしえの修験者は修行のためにただ一人厳しい冬山に挑んだといわれますし、祈祷なんか要素の9割は雰囲気作りだといわれてますが、冬のツーリングや冬のキャンプの静かで清浄な雰囲気は、まさに「黄泉の国への旅立ち」って感じ。しかし、それを味わうには自分を自然の中に放り出して、大気に直接触れなきゃならない。外気から遮断された自家用車では絶対にこの感覚を味わうことはできないんですね。

今の私が大事にしたいのはそういった雰囲気です。ただ走り続けるだけだった若い頃と違い、路肩にバイクを止めて、空を見上げ、雲間から差し込む神々しい陽光に神秘的なものを感じて「んはーーー」なんて吐息を漏らしたりしてる。

DSC_0025
(まるで黙示録の一場面のような光景。一人きりでこういう光景に向かい合うと、「もう雲間から大天使ミカエルが降臨しちゃうんじゃねーの?」っていう気がしてくる。)

この歳になると、バイクは遠くへ自分を運ぶだけの機械ではない。自分を望む世界に連れ出してくれる大事なツールなんです。そんな役割を求めていくとエンジンの出力とか、メカニズムとかそんなものより大事なものがあるという気がしてくる。

それはやっぱ、バイクの在り方やバイクの発する雰囲気なんですよ。冬の冷たい空気が独特の気配をまとうように、バイクだってきっとそういうものがある。F6B(SC68)はアメリカで生まれ育っただけあって、旅バイクの雰囲気がある。

バイクは出力や、運動性なんかより、まず「私はこういうバイクなのよっ!!」ってオーラを全身から立ち上らせることが大事だと思うんです。(SC79が最先端メカニズムを搭載しながら苦戦してるのもそこら辺の理由だと思いますね。)

F6Bはメッキパーツが全然なくって、外装もチープな色プラなので、枯れた地方の街並みに自然に溶け込むところもいい。

そんなわけなので私はF6Bを全然ドレスアップしてない。逆にイケイケ夏バイクのダイナはカスタムペイントからなにからやりたい放題になってるわけです。

遠洋漁業2
(完璧じゃないもの同士、お互いディスりあう関係。健全です。バイクってのは忠実に寄り添ってくれるけど決して馴れ合うことはない。裏切るときはちゃんと裏切る。でも裏切り方には理由があって理不尽じゃない。そこが人間との一番の違いです。)

旧車が現代のバイクより優れてるのって、この雰囲気っていうか、たたずまいなんですよ。バイクのデザインって、どんどん変わっていくけど、20年経っても地方の街並みってほとんど変わってない。どんどん古くなってる。

都市部のようなスクラップビルドが当たり前のところでは、新型バイクのデザインの方が馴染みがいいと思うんですが、田舎の街並みに溶け込むデザインって、やっぱヤレたデザインと、使い込まれた風合いなんですよね。気分が高揚している夏場なら派手なバイクも風景とのコントラストで面白いですが、冬の季節は落ち着いててなじむバイクがふさわしい。

私は人間的にもバイク乗りとしても冬枯れの域に入ってきてて、数値性能や、メカニカルな部分より、自分の感覚や雰囲気っていう形のないものを求めるようになってる。もう自分の喜びや感動に他人の共感や賛同を求める必要がないんです。

多くのバイク評論家が883に走っちゃうのは、こういう理屈と離れた感覚的なものが刺さってるからだと思う。そしてそれは、やがてセローになり、カブになる。

人が老いて変わっていくのに寄り添うように、好む景色やバイクも当たり前のように変わる。乗り手の個性や年齢や環境によってバイク観は様々で、それすら常に変化する。それゆえに絶対的なバイクなんてこの世にない。

バイク選びってのは最後は結局自分探し。だから、飽きないし、離れられないし、降りられないんだと思います。