私がハーレーのローライダーを購入したのは2009年でした。事故により2台のローライダーを乗り継ぐことになりましたが、2019年をもって晴れて通算10年目を迎えております。

1台目のローライダーはカスタムペイントが仕上がってきた翌日に信号待ちで玉突き衝突に巻き込まれ、プリウスとフィットの間に挟まれて、ピカピカのカスタムペイントを死化粧として天に召されました。「ダイナなら絶対事故らないんだからね!」とカスタムペイントに踏み込んだ翌日にこの理不尽さは、運命の女神が心をへし折りにきたとしか思えない。

なけなしの資金をカスタムペイントにつぎ込んでいたため、事故の直後は「顔は能面、心は血涙」という半精神崩壊状態でしたが、わずか1日とはいえ美しく仕上がったダイナを見られたのがまだしもの救いだったのかもしれません・・・。

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(事故直後の私はあまりの衝撃と理不尽さに、おそらくこんな表情だったでしょう・・。ガバッと起き上がった瞬間、路上に横倒しのダイナを見てはそれもやむなし・・)

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(一方心の中はこんな感じ。自分の体より事故でダイナがオシャカになったダメージの方がデカい。)

この事故で私はまるで中原中也の詩のように、軽やかにくるんくるんと宙を舞って地面に落下した(玉突きで私のバイクに追突したプリウスのおじさん語る。)とのことです。

「いやー人間が舞い上がるところを初めて見たよ~。人間ってあんなに飛ぶんだねぇ~。」とプリウスのおじさんはその光景にいたく感動したようですが、私は過去、東名海老名SA入り口で逆走車に時速70キロで突っ込んで南斗人間砲弾のように空を駆け、救急患者になってますので、これで「へっちまん in the sky」になるのは2回目なんですねぇ・・。不思議の国のアリスならともかく、革ジャンジーンズのオッサンがくるくると宙を舞っても、グリーンゴブリンの亜流扱いでしょう。

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(私の大好きなグリーンゴブリン。コイツの真に恐ろしいところは、金も名誉もあるいい年のオヤジが完全にキレ散らかしているところ。ライムグリーンのカワサキに乗りイエローラインをカットして暴走する人達を私は愛と嘆きを込めグリーンゴブリンと呼称してます。)

でも、この10年で事故といえばこれだけです。

「おっとっとととととととォォ、ウワアァオアアアアアアァア!!!」

とどっかに刺さりそうになったことは数回ありますが、刺さりそうで刺さらないのは昔ほどしゃかりきにスピードを出してないからです。

飽きもせず、コケもせず、10年一緒に・・というのは、私のバイク人生の中での最長記録です。この間コツコツといじり回してきましたが、未だダイナは「完成された」バイクにはほど遠い。9年目にしてフロントサスに手を入れちゃったり、カスタム一つとっても、そのスパンはセコイヤの樹齢のように長い。

これほどロングスパンで楽しめてる要因は、「バイクが性能依存ではなく、なにやら得体の知れない啓示に満ちている」からでしょう。なぜなら「このバイクの良さってなんなの?」という問いに今のところ明確な答えが出ていない。

ダイナの得体の知れない良さを殺さぬようチューニングしようとすると、なかなかの沼っぷりになる。ぶっちゃけ雑なようで奥はかなり深いのです。

昔はバイクのとがったところばかりを見ていた私ですが、ここのところバイクのバランスとかそのバイクの本来の姿ってどうあるべきなのか?という点をかなり気にするようになりました。

バランス面でいえばエンジンの吹け方やフロントブレーキのタッチや効き方、バンクしたときの車体制御、安定性などが一遍のズレもなく綺麗にそろっていると、操作したときに違和感がなく、速いとか遅いとか、性能が高い低いという評価とは別に、乗っていてすごく気分がいい。

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(現在のダイナは初代ダイナのパーツを全て移植した2代目。姿はほとんど変わっていません。帰ってきたウルトラマンのような存在です。)

日本製のバイクは共用部品でコストを抑えつつ、多様な車種を生産し、スペックにも手を抜かない素晴らしい製品作りをしています。しかしその一方で、バイク全体のまとまりやコンセプトにブレがあり、何を目指したのかがはっきりしないこともある。

車でいうとBMWなんかは特段尖ってはいないんですが、エンジンの吹け方やステアリングの粘り、ブレーキのタッチや剛性感などが全体的に同じ方向に統一されていて違和感がありません。一番違うのは性能じゃなくこういうところなんです。この統一感がBMW独自のドライビングフィールを生み出し、駆け抜ける喜びという個性に繋がっている気がします。

これに比べると昔の日本の車は個々のパーツの性能は良くても、エンジンはエンジン、ブレーキはブレーキ、シャシーはシャシーで独立設計してるのではないか?と思うような、作動感のまとまりに欠けるものも多かったのです。

パーツの性能はバッチリ出ているので、走りは折り紙付きでタイムも稼げる。しかし、悲しいかな各部の動作の統制に差があって、それを人が補正しなきゃいけないのでイマイチ気持ちよくない。そういうセンサーって人間はかなり優れていて、その違いがある程度理解できてしまうんですね。

長年、車やバイクに乗るうちに、バランス重視の考え方が私の中で大きくなり、飽きずに乗るには操作系や運動性能の統一感が車体性能と同じくらい大事なことではないだろうか?としみじみ思うようになったんです。これまでチューニングしては手放していたのは、チューニングによりバランスが崩れて、結果的には飽きを早くしていたのかもしれない。

「話は変わるけど、お気に入りのダイナってそんなにバランスがとれているの?」と聞かれると、これがまた悩ましい。バランス語るほど作動感が精密じゃないんですよ(笑)。整備性を考えてパーツの構造も簡単だし、複雑な制御なんてそもそも考えていない感じですよね。それなのに緩いながらも奇妙なバランスがある・・これがハーレーの歴史の偉大さなのか?と感じるところでもあります。ハーレーの長年のさじ加減もさることながら、パーツ強度の統一による一体感もあるかもしれません。

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(ダイナ10周年記念イラスト。いつものダイナ嬢よりちょっと巨乳に描きすぎたかも・・。それにしても、まさかこのバイクが10周年を迎えるとは自分でも意外でした。)

ハーレーってほとんどのパーツが鉄です(半分あきれつつ)・・国産なら迷わずメッキプラや樹脂で軽量化する部分でも、かたくなに鉄。笑えるのは可動部分はヘロヘロだったりガッチャガチャでも、それを動かしているパーツそのものの強度は馬鹿みたいにあること。操作系ヘロヘロならパーツもヘロヘロにしたいところですが、ハーレーのエンジン振動がそれを許さないのでしょう。柔いパーツはすべて折れちゃいますからね。

適正化もへったくれもないぶっとい鉄の塊が、決して無理せず鷹揚に動いていく感触は独特なものがあります。とにかく作動感は「ドッコンドッコン」「ノタリノタリ」「ガチャンコガチャンコ」なんですが、決して不快ではなく、アメリカ的で日本車と違うバイクの楽しさがそこにはちゃんとあるんです。そして何より楽。大口開けて斜め上をぼーっと見つつ、ホゲゲゲーって乗ってればいいんですから。

こういうゆるいけど気持ちいい楽しさって、人間をダメにする。人は一度ジャージを着てしまうとあまりの楽さに脱げなくなる。そしてハーレーは私の中で完全にジャージ化してしまってます。だから10年たっても脱げない。もうこの格好のまま、走り慣れた気楽な道でゴロゴロと余生を送りたいとすら思ってます。

昨年フロントをオーリンズのサスに換装し、ストッピングパワーが上がって公道ではかなり安全マージンが増えましたが、私は未だにノーマルのダメサスの味が忘れられません。そう感じるのはハーレーのフニャフニャのフロントサスがハーレーの絶妙のバランスの一部であり、高性能化によってそのバランスが少し崩れたからなんでしょう。

正直ハーレー乗ってると、バイクのあり方ってのは難しいなと実感します。これまで意識してなかった機械の深淵を感じることもしばしば。すべてをデジタルで解析すれば、より良い設計ができるんでしょうが、より良い設計が人にとって楽しいものとは限らないんですね。

ハーレーはその楽しさが何から生まれてるのか?どうすれば今より良くなるのか、正直よくわからないバイクです。性能を良くするのは簡単だけど、ハーレーの独特の気持ちよさを維持したまま、それをかさ上げするって、とても難しい。

チューニングにしてもライディングにしても、突き詰めていくことが正解だとは思えないとらえどころのない存在。そういうところが、長いこと飽きずに乗ってる理由だと思います。