12月29日。友人がバイクで死んだ。

私が大学4年間を通じて共に過ごし、毎日のように飲み歩いていた親友を亡くしたのは20年以上前の今日である。

30日の午前9時に私の住む小汚い6畳一間のアパートにサークルの女子から突然電話があった。昼夜が逆転して眠さに意識がもうろうとしていた私の鼓膜に「A君が死んだって・・」というショッキングな単語が突き刺さった。

3日前にAとその年最後の酒を飲み、「また来年」「おうよ」と気分良く別れた私は、その事実を聞いても何ら実感がなく「はぁ・・・」と呆けたような返事しか出てこなかった。

某有名私立大学法学部4年生で将来有望だったAはサークル仲間で、私よりよほど価値のある人間だったといえる。大学4年になってもろくに就職活動もせず暴走を続けていた自分と違って、無謀運転などすることもなく、マナーも正しい模範的なライダーだった。

電話口で涙声になっているサークルメンバーからその日が通夜と聞かされた私は、バイトをキャンセルし、葬儀用の着替えをリュックに詰めて、歳末の混み合う東名高速をバイクで静岡へ向かった。サークルメンバーから「一緒に電車で行こうよ」と誘われたが、これからAに最後の別れをしに行くのだと思うとバイク以外の移動手段は考えられなかったし、サークル連中と同じ電車で現地へ行くのは絶対に避けたかった。

Aの実家にバイクで到着した私は親族の神経をこれでもかと逆なでした。非常識だろ!といいたげな彼らの目線でそれが良くわかった。しかし、そんなことに気を遣う気にもなれなかった。自分がAの実家にいて、喪服の人々に囲まれていることが異世界のようで、現実感は完全に消失していた。

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「Aは何故死んだのだろうか?」

Aの死に理由などない。東京から実家のある静岡県にバイクで帰ろうとしたAは暖冬だったとはいえ山沿いでは10度を切る気温の中、なぜか高速道路ではなく下道を選択し、箱根の山を越えたところで対向車の大型トラックと正面衝突して帰らぬ人となった。現地の警察によると事故の原因はAの居眠りによるセンターラインオーバーということだ。メットの中で脳漿をぶちまけて「頭部はぐちゃぐちゃだ」と親族が小声で話していたのが通夜の席で耳にはいってきた。

後日、現場に立ち寄ってみたが、何の変哲もない緩いコーナーで、なぜこんなところで?という月並みな言葉しか出てこなかった。警察に保管してあったAの愛車、グレーのGSX-R400は、ほとんど破損しておらず、トラックに接触したのはAだけだったようだ。回避行動をとっていれば、いきなり頭部が接触するなどということはありえないので、完全に意識のない中でAはトラックと正面衝突したのだろう。

Aが極寒の箱根を超えて静岡に帰ろうとした理由も、悲しいくらい馬鹿馬鹿しい。前日サークルのメンバーとAの弟とで、Aの下宿で深夜まで麻雀を打ち、ハコをくらって親から振り込まれた里帰りの新幹線の料金を弟に巻き上げられ、やむなくバイクでの帰郷を選択したとのことだ。大学生のお約束のレクレーションともいうべき徹夜麻雀がその日に限ってはデスゲームになってしまったということになる。翌日の新幹線代金を吐き出してもきっちり清算するあたり、お人好しで真面目なAらしいとは思うものの、そこに死の深刻さはカケラも見いだせない。

結論からいうとAは単なる犬死にである。Aのそれまでの人生も、浪人させてまでAを有名私立大学法学部に入れた両親の苦労も、Aの未来も、12月29日に実に下らない理由であっけなく道路のシミとなった。

そんな空っぽの死ですら、それに直面した人たちはあれこれ死の理由を探す。ある人は自分の責任逃れのために、ある人は自分が楽になるために、ある人は早すぎる死に対する怒りのはけ口として・・。そして、それらの怒りの視線は葬儀や通夜の席で、唯一のバイク仲間だった自分に向けられていた。

まぁ親族の人たちにすればそれは当然なんだろうなとは思う。しかし、誰が見てもAの死に理由などないし、周りの誰も悪くはない。原因があったとしたら、徹夜明けで冬の箱根越えに挑んだAの無謀な選択と、そうせざるを得なかった状況、すべてのタイミングが悪い方に重なった偶然だけだった。

ことバイクで比較するならば、結局Aは運が悪く、私は運が良かったというだけである。早過ぎるAの死に理由がないように、私が生き残っていることにも特段の理由はない。事故に遭っても運良く助かり、心臓が今日も動いているから生きている。ただそれだけのことだ。だから、バイクに乗る限り「いつかその致命的な瞬間がやってくる可能性がゼロではない。」と頭の奥底で理解している。

いろんな書物には「死ぬまでに何か素晴らしいことをしなくてはいけない、自分の価値は自分で作らなくてはならない」などという呪詛がこれでもかと書いてある。

余計なお世話である。生きるのに偉そうな意味を求めるから、早すぎる死にももっともらしい意味づけが必要になる。この世に正しいと断言できる死などないし、高尚な死などもない。もし、仮にそんな死が存在すると定義するのなら、高尚な死を迎えた人は素晴らしいという評価になるのだろう。では、お世辞にも意味があるとは思えない死に様だったAはどう評価されるのだろうか?

私はそんな下らない評価基準を全身全霊をもって否定する。

葬儀と火葬は大晦日の午後に終わった。夕方まで実家でAのアルバムなどを見て、両親の昔話を聞き、日が落ちた頃に静岡を出た。東名高速を寒さと指の痛みに耐えながら、大型トラックの後ろギリギリに張りついて、東京に向かって感覚のない指でアクセルをひねり続けた。

途中寒さに耐えかねて何回も休憩を取り、ようやく東名川崎を過ぎた頃には夜中の12時を過ぎ新年になっていた。ふと左前方を見ると綺麗な白いドレスを着てヒールを手に持った裸足の女性が高速の路肩をふらふらと歩いていた。

葬儀の光景もAの両親の顔も、今となってはもうほとんど思い出せない。しかし、東名高速を素足で歩くその女性の後ろ姿と「うーん。デビルマンの原作って最高だなー。」とのんきに笑うAの声だけは今でも鮮明に覚えている。