皆さんこんにちは。これで第5回目を迎えます、ラクエルゴシック製作記です。「いい加減潔く終われや!!」と思われているかもしれませんが、駄文製作が真の目的ですのでまだまだ終わりません(笑)。

前回は顔のデッサンについてご報告いたしましたので、今回は顔のお肌塗りについて少々。私の描くイラストは線画ばっかりですので、すでに皆さんお気づきかと思いますが、「私は塗りがイマイチ苦手」です。塗ること自体が苦手というより、塗りに対するセンスがない。「フィギュアモデラーで塗りが苦手というのはもはや致命的なのでは?」というツッコミもあるでしょうが、これまで「致命的な損傷を受けながらも、致命傷で踏みとどまってきた。(要は死の一歩手前)」というのが私のフィギュア製作の実態なのであります。

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(制作中のラクエルの顔。グラデーションは強すぎず多少かかってるかな?程度などで見栄えはしません。なお、この時点では顔はこれでいい。そう感じておりました。)

グダるぐらいなら少しはフィギュア製作本なんかを見て最新のフィギュア製作法を勉強したらどうか?と自分でも思うのですが、残念ながら「本なんか読んでもセンスは身につかない」のです。線に関するこだわりはずっとイラストを描いてきていますのである程度はあるわけですが、色なんて日常生活で塗ることもなく、スキルアップは年に2体~3体ほど作るフィギュアの場面しかない。これではセンスは到底養われない。

そんなわけで、未だ時代錯誤にも少年時代の塗装方法で塗っている。つまるところ、塗料も塗装も数十年前ガンプラを作っていたときと実はあんまりかわりがないのです。

人間ある程度の年齢になりますと、新しいことの習得が難しくなり、さらにそこに加齢による気力減退が加わると、完成度が低いまま進化の袋小路に入ります。よく老舗の味といいますが、単に流行の習得を拒み、進化することなくとどまっていたら、「いつの間にか老舗と呼ばれちゃってた」というのが当たらずといえども遠からずな実態なんではないか?などと思うわけです。

まぁ私のフィギュアは、近時のフィギュアが「美しい盛りつけのフレンチ」だとすれば、「赤いきつね」のようなものであるといえるでしょう。どんなぐーたらなモデラーでも私のレベルまでは確実に到達できると自負してます。

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(塗装した顔に髪をかぶせます。髪の毛をかぶせると、眉毛の見え方が変わり、多少なりとも表情が変化します。ここでも違和感がないか再確認。ただし、塗装直後は自分の中で「なんとか破綻せず塗れた」という安心感と、「もうギブ・・」という疲労感もあり、小さな違和感があってもなかなか気づけません。)

最近はサフレス塗装をはじめ「クリアーを重ね吹きして透き通るような肌色で美しさを追求していく」という、非常に凝った塗りが出てきていますし、塗料に少量のパールを混ぜてきめの細かい肌質感を再現しちゃうなどという凝った手法もありますが、私にはそんなもの無縁。うどんでいうなら出汁は鰹節と味の素。薬味は七味のみというガチ手抜き仕様です。

というわけで、私は薄ピンクの下地に不透明な肌色を重ねていくというフィギュア製作初期の塗装方法を未だに採用しています。何でサフレス塗装やらないかというと、理由は簡単。「色は不透明な方が私は落ち着くから。」です。(まぁ技術もないのですが・・)ミリタリーフィギュアから入った私にはどうしても今のサフレス塗装というのがなじめないのです。

透き通るような肌といっても、現実には我が愚妻の肌色くらいしか参考になるものがない。で、妻の顔を見てみると、どう考えても「透きとおってはいない・・・。」艶があって白いどころか、どんよりとしていて加齢によるシミすら存在する。キミエホワイトを顔中に塗れば白くなるのかもしれませんが、アラが見えないとこまで塗るとカオナシになる可能性の方が高い。

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(カオナシ君。普段はおとなしいが、キレると手におえない感じも含め、我が配偶者を彷彿とさせる。)

このような人の悲しき現実を忠実に再現しようとしたら美しい多重コート塗装ではなく、ミリタリー系のウェザリング(汚し塗装)が必要とされるという事態になるかもしれない。(多分妻がこのブログを読んだら「クヒヒッ。殺す・・」というつぶやきと共に、本日から食事の塩分濃度が3割増しになることでしょう。)

フィギュアをあくまでアイコンとして考えれば、透過技法というのは非常に素晴らしいものなのですが、人のミニチュアであると定義すれば、厚みのあるベタ塗装の方が安心感のある色味になるような気がするのです。

まぁこんなこと言ってはミもフタもないのですが「真に美しいもの」を作ろうとは私は考えていないんでしょう。無理なものを自分に求めるのはストレスにしかならない。「美しいもの」「人間らしいもの」は少なからず相反する要素です。人は泥臭く、完璧でもなく、整ってもおらず、どこかしら歪んでいる。市販のフィギュアと私のガレージキットの一番の違いは、私の作ったものは手作りであるが故に「型にはまった完璧さはない」ということなのです。

さて、これまでいろいろ書いておりますが、単に綺麗に作れない私の製作技術をあの手この手で自己正当化しているにすぎないということをお気づきでしょうか?要は詭弁です。人はクソ長い文章で延々と言い訳されると、「うむ、釈然としないがそうなのかもしれない」と思ってしまいがち。

しかし、振り返って冷静にここまでの内容を検証し、要約すると「塗り下手だし、線ヨレヨレだし、発色にムラもあるんですぅ」という低クォリティの自白であり、「それを改善するつもりもない」という開き直りなのです。いやー最悪ですね(笑)。

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(体をつけて再確認。これだけチェックしても製作途中に違和感に気づくことは少ない。)

「人の顔が整っていないからフィギュアも多少のゆらぎがあった方がリアルなのだ」というのは乱暴な理論であり、「バカなの?フィギュアだからこそ不完全な人間を超えて完璧なものが目指せるんでしょ。」の一言で戦線崩壊して、時空脱出のためのワープゾーンを探すために目がキョドリはじめ、全力で銀河の彼方まで撤退する感じになっちゃうわけです。

ただ、「漫画にしてもイラストにしても整っていれば、単に美しければ良いというわけではない」というのは私の昔からの変わらぬ持論です。フィギュアでもイラストでも一番大事なのは「個性と魅力」。そしてその魅力は完成度ではなく、作り手の性癖や嗜好、感性、考え方などを作品にぶつけた中から出てくるものだと感じてます。

多少のゆがみやイレギュラーもそれが作り手の情熱をぶつけたものであれば、そういうものを尊重したい。

そんなわけでまんじゅうが店によって作り方が異なるように、塗装においても、まずは自分なりの製作法の確立が大事であり、自分が良いと感じるものを追求していった先に個性が生まれるのではないか?と思っとります。

相変わらず技術的なコメントは全くない塗装編ですが、私のような底辺モデラーの書く塗装技術論など、医療系産業廃棄物より有害ですので、こういう適当な風味になるのはしようがないことなのです。

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(現在の顔。製作途中と結構違うことがおわかりでしょうか?上下のまぶたの太さ、瞳の大きさ、ハイライト、微妙かもしれませんが少しずつ違います。これディスプレイしている間「いや・・顔はこれじゃないかも・・」とずっと感じていて、完成してから数ヶ月後に意を決してシコシコと微修正してるのです。髪の毛や首はもう接着してあって取れないので、修正作業の難易度レベルは製作途中の比ではありません。しかし、塗装したキット全体の雰囲気を見て、やっぱ顔はこうあるべき。という最終判断ができるのは完成後しかない気がします。そしてダメなモノは完成後もしつこく修正するそれが平凡な技術しか持たない私のガレキ作りの唯一の特徴なのかもしれません。)