みなさんこんにちは。ラクエルゴシック製作記のその4です。前回はフィギュアの顔描きのことについてご説明しようと思っていたんですが、なぜか邪神セイバーの話になっちゃいましたので、今回こそ具体的な顔描きについて報告していきたいと思います。

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(製作途中のラクエル。掃除のおばちゃんではありません。実はこれは初期顔。ちょっと明るい系に振ってあります。この顔から3回くらい手を入れて、現在のラクエルの顔になっています。製作したモノに数年後に手を入れるなんてのは美少女フィギュア製作では日常茶飯事。)

私はよくブログに自分で描いたイラストを挿入しておりますが、イラストが描けるからといってフィギュアの顔が描けるという簡単なものではありません。もしイラストの実力とフィギュア製作の実力がリンクするものなら、「荒木飛呂彦にジョジョのフィギュア作らせたら超サイコーの仕上がりに!」ということになるはずですが、そんなことはふつーにないわけです。それほど二次元のイラストと三次元造形は似ているようで全然違う。

じゃあイラストや漫画のスキルは美少女フィギュア製作に全く役に立たないのか?というとそんなこともない。イラストを描いていると「こういうタッチでこういう風に描けばこんな表情になる」ということが経験である程度はわかってくる。この勘所がわかってくると「なんかよくわからないけど、とにかく完成写真に似せていけば何とかなるはず!」「似せにゃだめだ。似せにゃだめだ。似せにゃだめだ。」という模写的フィギュア製作から、意図的に「こういう顔にしちまおう」とか「こうアレンジしたらもっとよくなるんちゃう?」とか、「これが俺の萌えなのじゃぁああああ!!」とか、まるで人民解放軍の怒濤の進撃のように次々と楽しい想像が湧いてくる創造的フィギュア製作の道が開けてきます。

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(ブログの文章とは別に、今回はイラストでわかりやすくラクエルの目入れのアレンジを解説していきたいと思います。この塗り絵の下絵のようなものはラクエルの仮組み写真からトレースして取り込んでます。フィギュアの目の凹みは薄く囲んだ部分。フィギュア製作においてはこの目の凹みの大きさは変えられないので、これを変えずにどの程度のアレンジが可能か考えてみます。)

対象をよりリアルに作り込み、写実的に仕上げていく技術がスケールモデルの神髄だとすれば、フィギュアの顔はもっともっと自由なものであると考えているわけです。まぁ偉そうなこと書いていますが、「こんなクッソ下手なフィギュアで何ヌカス!!」とおっしゃる方には映像による隔地式土下座で自己保身をはかるしかないし、「こんなリビドー全開の美少女フィギュアがおまえの自己表現なのカ!!」というツッコミには、「美少女フィギュアモデラーの自己表現はそもそも美少女フィギュア以外ないのよォォオオ!!」とお答えするしかありません。

二次元でイラスト描いてて思うんですが、他人の絵を真似て描いても(トレースは別)、全然似やしない。そもそも線やバランス感覚、美意識という絵を構成する基本要素そのものに人それぞれの個性があるため、同じものでも一度脳内にインプットして再度アウトプットすると描く人の個性によって全く異なる風合いなっちゃう。

「くっっそおおぉぉおお!!全然似ねぇぇええええぇえええ!!」と身もだえしたところで、どうにもならない。

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(まず、アレンジその1、私が良くやっている「目を大きくして可愛い系の表情に持っていく」パターン。このパターンでは目の枠を内線として思いっきりまぶたを太く描いて、瞳も大きめに設定することにより目を出来るだけ大きく見せます。眉毛も目から離し気味にして明るい表情に。きゃら~んとした表情になりますが、このラクエルにはイマイチ合わない。)

なぜなら元絵を描いた人と私は人生もなり立ちも違う全くの人格ですから。そもそもフィギュア原型だって二次元にうり二つなんてのはほとんどない。フィギュアが原作に似ないのは自分の個性によるところもあるので、それを否定するより、「檄似じゃないけど、素敵だね!」という方向を目指した方が健全だと思うのです。

模型製作する人って、努力すれば完成度が上がると思ってるところがあるし、「完成度を上げる=対象に可能な限りリアルに寄せる」こと。と考えてる節がある。模型の多くを占めるスケールモデルは現実にミチュアライズの元となった対象が存在し、それを模型化したものなので、完成度を優先すると必然、元になった対象そのものをリアルに再現するという方向性になっていくのですが、一方でキャラクターの世界、特に同人誌なんかではキャラに必要以上に似せることより「描き手の個性やアレンジのセンス」が問われているようなところがあるのです。

だから、原型師の提供してくれたフィギュアを自分なりにアレンジし、自分の良いところを伸ばしつつ気楽な気持ちで製作するのがいいのではないか?と考えてます。

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(アレンジその2「小悪魔系」。これはの眉の端が吊り気味になるいわゆる猫目というやつ。猫目は気が強く活発なイメージになります。眉は目に近づけ、傾斜をつけることによってキリッと締まった表情を作ることができます。凜々しい系の眉は外に向かって吊り上がっていく猫目と相性が良く描きやすい。)

また、制作中にウェブでフィニッシャーさんや他の上級モデラーが製作したフィギュアをなどを見ると、あまりの塗装技術に誤嚥性の咳が出たり、お漏らししそうになったりして自分の肉体年齢を自覚し、且つやる気を失うこともありますが、これへの対処法は2つしかありません。

「自分の下手さ加減を受け入れる」か、「フィニッシャーレベルに近づくべく技術を磨く」かです。しかし技術を磨く方向は果てがなく、テクニックが上がれば上がるほどより細かいところにこだわるようになって、自分をさらに追い詰める求道的路線になっていくので、私は早々に白旗を掲げ、自分のダメさ加減を受け入れてしまっています。

自分のダメさ加減を受け入れるというのは創作において結構重要なことであると思います。上を見れば限りがなく、下を見て自分を慰めていてもしょうがない。結局人のことが気になるのは、自分にないものを求める「心の贅肉」なのです。

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(パターン3は「憂い顔系」。これをさらに細くすると「ジト目」になります。まぶたと眉は若干逆アール。逆アールにすることによって少し憂いを帯びた流し目にすることが出来ます。今回は口元が笑顔なので意地の悪い悪女のような目線になります。また、下まぶたを太く描くことにより、ちょっと病みが入っている表情にすることができます。)

他人は他人、自分は自分。絵でも模型でもバイクでも他人の目を気にして格好つけてるうちは、いつまでたっても楽しめないような気がします。

まぁそんなことを言っても、未だに他人のことが多少なりとも気になるのは私も同じ。他人様と比べて落ち込むことがあったとしても、創作においては歯を食いしばって作り続けるというところが一番大事であり、ずっとその領域にとどまり、踏ん張り続けることによって、私のような馬鹿でもいつかは気づけるということは多々あるのです。

私は現状、美少女フィギュアばっかり作ってますが、美少女フィギュアに出会わなければ、帆船模型のビクトリーで無難に模型人生のフィナーレを迎えていたかもしれない。美少女フィギュアで「コイツは既に魔道に堕ちた」と思われる方も多数おられると思いますが、フィギュア作ってなかったらこのブログも始めてなかったかもしれないんですよね。(なんせ最初にこのブログで紹介したのはクリスティンVでしたから。)

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(現在のラクエルはパターン2と3の中間に近いものになってます。当初に製作したものより、上下まぶたを太くし、瞳の輪郭線も太くして、目力を上げて悪女系に寄せています。完成して棚に飾って1週間見続けて「やっぱこの表情は納得できないわー。」となることなどはしょっちゅう。そんな場合は完成後からでも可能な限り手を入れていきます。完成後に表情を触るのは非常にリスキーで困難を極めるのですが、全体を俯瞰してからでないと感じられない違和感もあるのです。)

そう考えると、オタクな私がこれまでの模型人生で一番楽しんでいるカテゴリーが、この美少女フィギュア製作なんだろうなと思うわけです。結局のところ、人はいつかは自分の欲望に正直なところに落ち着くわけですねぇ・・・。

次回は塗装編です。