こういうお題のブログを書くのは、私自身が「ハーレーってそもそも何がいいのかわかりにくいバイクである・・」と感じてるからです。性能的には尖ったところのない、時代に取り残されたようなハーレーの魅力をどう伝えるか?ってのは、実はなかなかに難しい。今回は私の主観に満ちた内容により、それをお伝えしたいと思います。(なお、いつものようにブログの内容に何ら責任を負うものではありません。)

バイク雑誌などに出てくるダイナと同価格帯のバイクは現代的な出力切り替えやいろんな最先端機能を身につけていて、もう至れり尽くせりの感がありますが、そんな中ダイナは根本のところではアナログで、乗り味も明らかに前時代的なバイクです。ですからハーレーと他のバイクの比較記事というのは、ハーレーがあらゆる点で完敗してしまい、とても読みものにならない。しょうがないので、ハーレー同士の比較記事ばかりになり、他のバイクに対するハーレーの良さが全然伝わってないという状況になってます。

しかし、200万越えのバイクに「乗ればわかるぜ!」はどう考えても無理がある。

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(昨日は天気が良く暖かかったので300㎞ほど走ってきました。結構サスが抜けてきているので、前後ともそろそろオーバーホールしなくてはいけません。タイヤも3分山。この前F6Bの車検通したところなのに・・うっ頭が・・)

ハーレーというと性能以外に「オシャレをすればバッチリハマる」というアメリカンカジュアル的な魅力がありますが、しかし、私のようにオシャレ感覚がない「とりあえず革ジャン着とこ。ジーンズはいとこ。ヘルメットはシンプソンかぶっとけ。(かぶってないけど)」的な雑なコーディネイトの人間は、オシャレ度を基準にバイクを選ぶことなどない。

オジサンはオシャレというものを放棄しているので、オシャレ度を加味した評価はあまり意味をもたず、結局機械としてどうなのよ。ということが重要なのです。で、機械としてハーレーがどんだけ魅力的なのか?というと、それを細かい数値で語ることは極めて難しいというか、無理であります。

エンジンは高回転でフン詰まり、車体は国産の1.5倍は重く、走行風は体にモロに直撃する。エンジンの熱は股間を焼き、クラッチは重く、ブレーキはスポンジーで、ギアは「これは三段変速のママチャリなのかね!」と思うようなガチャンコ感に満ち満ちている。しかも価格はとんでもなく高い。

試乗して「なんじゃぁああ、こりゃぁああ!!ハーレーなんぞ全然よろしくないわぁ!!!!」と死亡認定する方も沢山いると思います。さもありなん。でも、禅問答のようですが、実際はそのよろしくないところが良いのです。

私のハーレーに対する評価は、私が愛してやまないアサルトライフル・カラシニコフ(AK-47)と似ています。カラシニコフは世界一生産された自動小銃ですが、70年前の基本設計にもかかわらず、現在まで生産数約7000万丁。驚異的なのはその単純さと性能のバランスで、パーツ数わずか8、お値段3万円(笑)です。

こんな低価格の自動小銃が中東では一線級の主力兵器として現役で活躍してる。極めて頑丈で高威力。錆びようが砂が噛もうが、きっちり稼働し、子どもでも簡単にバラして整備できる。性能はお察しですが、専門知識を持たない一般人でも簡単に扱えるライフルとしてはカラシニコフに優るものはない。

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(カラシニコフを持つメイド。製作時間90分。それにしても重火器とメイド服のマッチングの良さは異常。このブログ「カラシニコフとメイド描きたかっただけちゃうんか!」といわれると、実はそうかもしれない。なおAK-47の「47」は設計年次の1947年からとられています。当たり前ですが、西側諸国からは妖刀村正のように忌み嫌われている。)

カラシニコフは西側の最新鋭の自動小銃に比べれば、命中率、殺傷力、携帯性、いろんな部分で劣っています。にもかかわらず、圧倒的に支持されている理由は何か?それはカラシニコフが「扱いに技能がいらず、わかりやすく、整備しやすく、極めて頑丈で、どんな劣悪な環境でも必要十分な性能を長期にわたって安定して発揮する。」からです。

高いコストを支払って高性能に作られた兵器は、「高性能な領域をフルに使って初めて存在意義がある」わけですが、そのためには繊細な扱いと、操る者の知識や技量、適切でマメなメンテナンスが必要になる。

でも戦地で闘う多くのゲリラ達にはそんな技量や知識はない。金もない。過酷な環境の前線には物資やサポートすらない。日々すり減っていく精神状態の中、メンテの余裕もない。だから最低最悪の状況でも稼働率と性能を確保できる極めて頑丈なカラシニコフが心の支えなのです。

カラシニコフは技術者のプライドや性能よりも、全戦で戦う疲れ切った兵士達の姿や環境を想像し、「彼らにとって何が大事なのか」を考えた結果生まれた。それが多くの前線の兵士の心をとらえ、もう世界中のゲリラが「カラシニコフじゃないと使い勝手がわからない」というレベルにまで普及したのです。人を殺す兵器の中にある人に対する理解と思いやり。しかもそれが高コストとなる足し算ではなく、引き算で達成されているというとんでもなさ。それがカラシニコフの魅力といってもいいでしょう。

バイクだって人が扱う機械なので理屈は似ている。超高性能を突き詰めたバイクは、タイヤやオイル、パッドの消耗も激しく、維持費がかかるだけでなく、乗り手にはリスクと技量を要求します。前傾姿勢で腰も痛い。超高速のマニューバに対応するためライダーも鍛える必要がある。それらをクリアし高性能に応えられる技量、体力、資金力と燃えたぎる闘争心がある乗り手には、スーパースポーツは最高の体験と快楽を味わわせてくれるでしょう。

しかし、私のような最前線をリタイヤした中年ライダーが公道環境でバイクを乗るには、超高性能は不要なコストがかかるだけ。時速60キロで走っていてもハイグリップタイヤは容赦なく減っていく。溝がみるみる減っていくのを見て「おお・・また出費が・・これは耐えられぬ・・」と天を仰ぐ。今や家計の大黒柱である私のトレンドワードは「減らないタイヤは大正義」なのです。

ハーレーはタコメーターやスピードメーターを見なくても、飛ばせばエンジンの振動で限界がわかる、その程度のバイクです。私の所有するTCダイナは既にキャブではなく近代的なインジェクションですし、ウィンカーキャンセルなどの便利機能もたくさんついてますが、それでもエンジンは1999年、フレームは92年頃の設計で、フロント19インチ、リア17インチという古めかしいディメンションです。

エンジンはがさつな低回転型。パワーは排気量による爆発力。エンジンを前後に揺らす爆発振動を許容しつつ、車体の頑丈さはパーツの厚み、物量で確保。直進安定性はロングホイールベースと車重による原始的な慣性力というアナログぶり。しかし、単純で頑丈であるが故に距離が伸びても走行質感は全然落ちないし、ディーラー行かなくても自分でほとんどの日常メンテが可能。ハナから古めかしい乗り味を求めて購入しているので、新型が出ても心はピクリとも動かない。金かかるけど、長く乗れるからつぎ込んだ金が腐ることもない。(←金かからないのが1番だろ!というツッコミはやめて!!)

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(リヤサスはオーリンズです。さすがのオーリンズも2万㎞走るとブワンブワンになってくる。オーバーホールすると2本で3万かかります。次のオーバーホールで3回目。カスタムペイントもこのバイクが初。ハーレーはコケようがないからカスタムペイントの踏ん切りがつきやすい。)

昔イケイケだった頃は、そんなハーレーを正直馬鹿にしていました。ハーレーは爺のバイクだ、巨大カブだと。しかし、自分がポンコツになって乗ってみると、ハーレーの優しい合理性が身に染みる。ただ単に性能が低いだけなら、すぐに放り出していたでしょうが、そんな簡単なものではない。ハーレーにはカラシニコフのように公道を走る「乗り手の姿」を熟慮して作られた感じがあり、それがジワジワと心に刺さってくるのです。

自分に可能性があると信じ、熱い情熱が滾っているときは人は超越したものにあこがれる。でもやがて刻が経ち、多くのバイクを乗り継ぐうちに、自分というものがだんだんわかってきます。「能力も無いのに、こらえ性がなく、すぐ頭が沸騰し、暴走した挙げ句、ダーツのようにガードレールや車に刺さる。」それが自分の本質であり、悲しき現実です。

スーパースポーツはホントにスーパーで異次元で素晴らしいバイクです。でも乗ってる自分はスーパーマンではない。ただの一般人です。一般人がスーパーマンの真似事をすれば、ボロボロになるまで身を削らなくてはならない。そんな当たり前のことに9回も事故って、ようやく気づいたわけです。

ボロボロになって後ろ向きになりつつあった自分に「お前のような無能極まる慢心ライダーはムリしちゃだめだ。」「ほら、俺のような低性能なバイクですら乗りこなせないだろ?お前のような馬鹿にあわせてムリできないように作られてるぞ。お前のような鳥頭にはこれがお似合いだ。」と教えてくれたバイクがローライダーでした。このバイクがあったから自分は今でもバイクを降りていないのかもしれない。

ハーレーの真の良さって、ポンコツなところです。そして多くのライダーも年齢と共にみなポンコツになっていく。「俺はポンコツだなぁ」とある日ふと気づいたとき、ハーレーはポンコツの正しい有り様を教えてくれる。

結局最終的に乗り手が守らなきゃならないもの。それは自分の命です。命を守るためのバイクはどうあるべきなのか?スピードやパワーを際限なく盛りつけて、トラクションコントロールやABSなどのハイテク装備で押さえ込むという考え方もありますが、それは根本的な矛盾をかかえています。

ハーレーは違う。「そもそもコケるようなことはさせません!」ってバイクが物理的に抵抗する。ステップ擦ったってバンク角なんぞたかがしれてるし、ロングホイールベースにクソ思い車重とバンク角のなさで、コーナリングスピードもお察し。フロントが沈みまくって、過激なブレーキングをしても全部フロントが吸収しちゃうので、コーナー手前の突っ込み勝負なんて考える気もおきない。急減速時のリアの接地性はどうにも頭を抱えるレベルですが、バンクしてないからリアが流れてもなんとでもなる。これまでバンク角命の人生を歩んできて、これには横っ面を張り倒された気になります。

とにかく実に遅いのでどんなにシゴいても本気になって飛ばしている国産には勝ち目がない。完全なるあきらめモード。白旗降りながら走っているようなものなのですが、それがまた気持ちよかったりするから不思議です。

さて、これまで長々とダイナの良さを文章で伝えようとしてきましたが、うまく伝わってるのかまったく自信がありません。逆にハーレーを盛大にディスっちゃってるような気もしないでもない(笑)。しかし、どんなにディスっているように読めても、中東の兵士達がカラシニコフに全幅の信頼を寄せるように、私にとってダイナはその信頼度において替えのきかないバイクなのです。9年間も一緒に過ごし、飽きもせず、転倒もしていないという奇跡。これはもう「我がバイク人生に現れた最大の救世主」といってもいい。

今後もどれくらい一緒にいるかわかりませんが、真に素晴らしいものはカラシニコフのように70年経っても替えがきかない。ダイナは私にとって、そんなことを実感させてくれたバイクなのです。