昔見た雑誌で「機械式時計、クルマ、オーディオ」「メカ系三悪」と呼ばれていました。これらにハマってしまうと金遣いが荒くなり、女性雑誌などで「最も結婚してはいけない男」の代表格にあげられてしまうようです。

私も例外ではなく、これまで相当な金を巻き上げられてきました。私はこれに加えて「二次元オタ」「美少女フィギュア製作」「ソシャゲガチャ廃課金」という「現代人の心の闇が生み出した堕落三悪」が加わり、なんと六悪。現世六つの悪道を踏破し、もはや「人類悪」といえるのかもしれません。

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(活字だけではブログのビジュアルが保たないので、奥多摩周遊道路のばくおんポスターを。「そよ風くらいがちょうどいい」というゆるいキャッチコピーに、ばくおんの女の子達がぴたりとハマる。このポスターをキリンの登場人物で作っても全く説得力がない。

長年そういう世界に浸っていますと「高額高付加価値商品が成立する条件は皆だいたい同じ。」ということがわかってきます。基本、どの世界でも高額高付加価値商品は「商品価値+顧客の満足感」で成り立っています。外国の企業は高付加価値商売がうまく、日本企業は下手。

上手な商売というのは「できるだけ高く売って利益を出す」ことです。ライバルに性能で負け、品質で負け、価格が高く、それでも売れて利益が出ちゃうのという「夢のような商品」を開発すること。それにはオンリーワンのアイデンティティが必要です。

そこら辺をわかっている海外モデルはオンリーワンの価値をアピールすることが非常にうまい。日本車との文化の違いや価値感の違いを評論家にどんどん語らせる。いかにそのバイクが特別で素晴らしいかをこれでもかと提示していく。完璧なものがない以上、見方を変えれば評価は180度変わるのですが「その商品が輝く側面」をただひたすら説いていけば、素晴らしいイメージが誕生する。そしてそのイメージは価値にかえることができるのです。

とあるバイクに「ヨーロッパの速度無制限で鍛え抜かれた圧倒的フィーリング」などと格好いいキャッチコピーがついていたとしましょう。これは逆に言うと「発進停止地獄の日本の低速道路環境では性能のほとんどが飾りでございます!」って言っているに等しい。また、ハーレーの「魂に響き、バイク乗りを虜にする独特の三拍子」も男心の理解できない我が愚妻にかかっては「うるさい巨大オナラ音」呼ばわりされてしまう。

しかしこういうキャッチによるイメージ作りって凄く大事。私の敬愛する吉行淳之介様は、「どんな女性も必ず褒めるところが一つはある。褒めるところがなければ爪を褒めろ!」といっておりましたが、単に「器量が良くない女性」と表現するより「とんでもなく美しい爪をもつ女」といった方が期待感はグッと上がります。

良いイメージをかさ上げしていけば商品は輝き、輝く商品は人を惹きつけます。特に音やフィーリングやデザインという評価の定めようのないものは言っちゃったもの勝ちですし、数値がないだけに想像力をかき立てるロマンがある。

カタログ性能数値は一見説得力がありそうですが、ベテランにはあんまり効果ない。120馬力と130馬力のパワーの差を目をつむって感じてみろ!!っていわれても正直困る。今の自分だと「公道ではどっちもすっっごく速いですぅううぅぅう」というインプレにしかならない。排気音の違いや塗装品質の方が一般人はよっぽどわかりやすく価値を実感しやすいんです。

例えば、アンデルセンの裸の王様は「バカには見えない服」を着て、白昼堂々フルチンウォークをかますわけですが、子どもから「それ公然わいせつやんけ!汚すぎるでジジィ!!」と指をさされてしまいます。現代の日本で「バカには見えないライダースーツ」を着用し、日帰りツーリングに及んだ場合、日が沈む頃には拘置所にいるかもしれない。


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(画面を持たせるために意味もなく挿入されるオーナーとバイク達の漫画。F6Bは真面目メイド。ダイナは悪女ビッチ・ボンテージというキャラづけでお送りしています。)

裸の王様の服のコストはゼロ。デザインもなし。防寒効果も汗の吸収効果もない。肌触りすらない。しかし、このないないづくしの服を王様は「価値あるものだ」と認識しました。無から価値は生まれないので、存在しないはずの服に価値を与えた何かがあったわけです。

この物語でのそれは「服を素晴らしいものだと思い込ませた口のうまい服屋」「バカだと思われたくないのでホントは見えないのに服があると装い、服を褒めまくった取り巻きの大臣達」です。頭の良い取り巻きの大臣が「確かに存在する。私には見える。見えますぞ、殿ぉおおお!!」と言うので、王は存在しない服を「ある」と信じ、その誰も着たことのない服を着ることに満足を得たわけです。私はこの大臣の言葉を素直に信じた王様をうらやましいと思う。

裸の王様は悪い話のように思われていますが、無から満足を生み出す可能性を説いた「商売のバイブル」ともいえます。このケースはやり過ぎですから詐欺に近いですが、「こういう価値が存在する」と理解できない人は高付加価値商品を売るのも買うのも向いていない。

「商品と価格のみが良心だ」ということになれば、価格勝負をするため商品以外のコストを削りまくることになり、最悪屋台でバイクを売る羽目になる。地方の国産バイクショップは大概店舗にコストがかかってない。商品最高、売り方無頓着。いくら商品が良くてもそんな夢のないことでは高額商品は成立しません。英國屋より質を良くしたとしてもファッションセンターしまむらで20万円のスーツは売れないのです。

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(私がハーレーを購入させていただいている店舗。ほとんどのバイクが100万円を超えの高価格であるが故に、店舗も高級感さえ漂う作りになってます。もし国産の店舗と同じレベルだったらハーレーブランドは生まれなかったでしょう。)

高い商品を売るためにはそれに見合った場を用意してあげないと財布から金は出てきません。これが国産リッターバイクがハーレーに軒並みやられてしまった原因の一つです。

日本車ではレクサスが苦労しながらブランド構築をやっているし、バイクではハーレーダビッドソンがそこを良く理解している。最近はカワサキやホンダもようやく「そこ大事じゃね?」と気付き、高額車種専用店舗を作ったりして販売のグレードアップを図るようです。私的には今頃ようやくそこに気付いたんか・・。という感じですが、長年染みついた商売のやり方を変えるのは容易ではないのでしょう。

バイクは今や金のかかる趣味です。国産4メーカーの真の敵は、海外のバイクではなく、この世すべての高額趣味商品です。これからは価格に見合ったトータル価値を提示しないとバイク業界は生き残ってはいけないでしょう。

で、そんなお前はブランド好きなのか?といわれると、正直、昔は好きでした(遠い目)。でも年を食って「自分は大した人間ではない。バカボンのパパと紙一重なのだ。」という厳然たる事実に気づくとブランドはあまり効果がなくなる。

どんな素晴らしいもので武装しても「自分自身に夢を見られない」ので気持ちがアガらないのです。要はミスタースポックみたいになってくる。「バカには見えない服をあげます。王室も大絶賛です。最高にクールですよ。」といわれても、「それは単なるフルチンでしょう。」と目を細めてマッタク話に乗ってこないつまらない男になる。素敵なモノを身につけたとしても「自分がそれに負けないようにする努力」をしなければ何の意味もない。そして自分はそんな努力をしない男だ。ということがわかってしまい、人の評価がどうでもよくなってしまったのです。

人によっては「イメージ戦略に左右されない真なる価値基準を持つ消費者」であると評価してくれるかもしれませんが、形のないものの楽しさを感じられないというのは消費者として実に味気がない。

熱血イケイケのカーク艦長より正論を吐くミスタースポックの方が男として魅力的か?というとそうではないことは明らかです。男としてはブランドものを買って格好つけてフェロモン満載でイキれるうちが花であり、バイクは本来そういう層に刺さらなくてはならない。

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(冗談の通じない男、ミスタースポック。頭の悪い私とはまったく接点がない天才宇宙人ですが、自分の可能性に夢を見られない点では同じ。)

でも今の現状でフェロモンを発した格好いい男達が胸を張ってバイク店に入っていけるでしょうか?イキれるでしょうか?女にモテるでしょうか?そんなイメージがあるでしょうか?これじゃ未来はスピード馬鹿か冒険馬鹿、または私のようなミスタースポックしかいなくなる。

これからは環境問題でクルマがカスカスになっていく、放っておいても遅くなる。速いクルマは高すぎて買えないし、安全すぎてつまらない。そんな中でスリルを求めるメカ好き肉食系野郎の本能を満たす乗り物はバイクくらいしかない。ゆっくり走ったってバイクの満足度はクルマの比ではないし、事故が多いので人には勧められないですが、乗れば誰でも確実にハマる。

今後バイクは「クルマより維持費が安い危険な乗り物」から、「クルマと違い、風を切る実感を得られる貴重で素敵で特別な乗り物」へイメージチェンジを図らなくてはならない。安くて経済的な移動手段というだけなら、バイクの事故リスクが存在価値を上回り、バイクはイランとなりかねない。

将来のライダー達が胸を張ってバイクを購入できるよう、業界は上がり続けるプライスと引き替えに何を提示し、何をしていくべきなのか?そろそろ真剣に考えなきゃいけない時期ではないか?と思います。