最近新型ゴールドウィングのことばかり書いているのでタマにはハーレーのことなども。

先月ハーレーが販売急減を受けて、カンザスシティーの工場を閉鎖するという記事が目にはいりました。四半期の純利益は8割減らしいですね。

今回はこの件について少しばかり書いていきたいと思います。(なお、これはいちハーレー所有者である私の独断的つぶやきであって、何ら根拠があるものではないので、激しく突っ込まれても、論者である私は北西方向へ逃げ去るか、横穴にこもるだけで歯ごたえはありません。)

結論から言いますと、私はハーレーの不振には「明確な理由なんかない」と思っています。

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(バイクのブログには画面を持たすため、ごくたまに下らない漫画がつきます。ちなみにSYN3はハーレーのオイル。とんでもなく高い。私は流体収益と命名。)

他国のことはわからないので、日本国内限定で言いますと、これまで大型バイクのシェアはハーレーがかなりの割合で握っていたわけで、「それ自体がとんでもないことであった」と私は思ってます。

本音いっちゃうと私の中では「ハーレーは価格の割にちょっと勝ちすぎ」でした。「お前ダイナ2台も買ってるのになにいっとるの??」とのご意見もございましょうが、私はダイナの「絶妙で確信犯的なダメさ加減」が好きで、それにインセンティブとして金を出してる変態であって、「冷静に見ればあの価格でバカ売れするようなバイクではない」と思っています。

ですから私にとってはハーレーの販売台数減少は不振でもなんでもなく、「長年にわたりハーレーが実力以上に売れてしまって、それが修正されているだけの通常飛行」なんです。「なぜ売れないのか?」っていうより「売れなくなっていく方が自然」と考えてるんですね。

じゃあなんでハーレーが売れたのか?ハーレーは確かにメッキの質とかびっくりするほど良くていいモノ感があるし、乗り味もいいバイクなんですが、あれだけ価格が高いんだからそれは当然のことです。費用対効果や性能で日本車を追い抜いたわけでもなければ、品質管理が最高ということでもない。

ハーレーが売れた要因はバイク単体だけではなく複合的なものであったと推測します。日本車ばかりの中にあって、ハーレーは新鮮だったというのもあるでしょうし、イジりがいがあって、オモチャみたいで楽しいから、かもしれない。ハーレーというブランド力や一度は乗ってみたいというあこがれをうまく突いたとか、ディーラーの緻密な販促努力やツーリングを通じた体験の提供、雑誌を使った広告活動も功を奏したのかもしれない。

昔は峠で膝擦るのが格好良かったりしましたが、ダンディな大人がハーレーに乗ってオシャレするのが格好いいというようにライダー側の価値観を変化させたことも要因の一つだ思いますし、「人が右向きゃ自分も右へ」という日本人特有の集団心理が作用したこともあるでしょう。そんな様々な事象がうまくシナジーして、国内の大型バイク市場でハーレーは大きく躍進したわけです。

でもそれがいつまでも続くかというと「そんなことはないだろうな・・。」と思う。バイク単体に強烈な価格競争力がない限り、世界市場で他社を相手にしていつまでも大きなシェアを握ってられるか?成功を導いた価値観が10年、20年と続いていくか?というと「いつか修正局面が来ることは目に見えていた」と思います。

ハーレー乗りには「オレはハーレーと人生を共にする!」みたいに根性の入った方もおりますし、そういう方は発信力もあるので「ハーレー至上主義者はたくさんいる」ように見えがちですが、こういう人はホンダにもヤマハにもスズキにもカワサキにもいるわけで、シェアには全く影響しません。多くのライダーは、「そのときどき気に入ったバイクに乗る」的な感覚でお気楽にバイクに接しておられるんだと思います(私もそうです)。

加えて人は経験を積み、乗り継げば乗り継ぐほど「自分を通してバイクを見る」ようになってくる。バイクほど旧車が売れちゃうジャンルはないと思いますが、それは乗り手が主導しないとありえない現象です。技術は日々進歩していますんで、機械的なことを言えば旧車がいいなんてことはまずない。ABSなどの安全性も現行バイクの方が圧倒的に高い。

そんな中で「性能は現行型が良いけど、旧車の方が自分にあっている」「旧車こそが格好いい」「とにかく旧車が好き」というライダー主導の価値観が技術や維持コストより上位にきちゃうのがバイク。きっと皆旧車を通して「古き良き日の情熱や思い出」を見ているんですね。

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(Z900RS。近年ネオクラシックがどんすか発売されてるのは、ライダー主観と技術の折衷を狙ったモノだと思ってます。あざとい、実にあざといがとても正しい。メーカーも良く考えてる。)

バイクは人に極めて近い乗り物で、主観的価値が重要になる。そして乗り手の個性が千差万別である以上、販売面で画一的に「ある特定のカテゴリが勝ち続ける」ことはありえないわけです。そして人の内面が販売に大きく影響する以上、売れる売れないに理由などない。

個性を重視する人は他人が持っているものを避ける傾向にありますから、ネイキッドやスーパースポーツ、アドベンチャーなど魅力的な選択肢がよりどりみどりのなかで、アメリカンクルーザーが巷に必要以上にあふれれば、必ず揺り戻しがある。過去にもレーサーレプリカブームやネイキッドブームがあり、ある時期「特定カテゴリのバイクが突出して売れた」という時期がありましたが、やがて価値観は収束し、落ち着くところに落ち着きました。それが世の常です。

販売台数減少の直接の原因がハーレー自身にあるのなら、販売不振を解消するにはそれを潰せばいいのですが、長期的に見て売れすぎたものが修正局面に入っただけなら、バイクをいくら良くしても販売数が伸びるわけがない。必然的に販売数はゆっくりと緩やかに本来あるべき水準まで落ちてゆく。

そんなのは市場の摂理であって、株だって、仮想通貨だって、投資信託だって全部一緒。背景事情は様々だとしても、相場観のあるものは常に上昇と下降を繰り返しながら、あるべき価値へ調整がされていくのです。

そんなわけで「こういうときにあがいてもしょうがない」と私がCEOなら結論づけるところですが、拡大した戦線を維持するのは、これとは別問題というところがややこしい。

困ったことにハーレーはクルーザー専業メーカーですので、クルーザーの販売が減少するとこれに変わるタマがありません。特定領域に全ツッパな専業メーカーはブームが来ればバカ売れする爆発力がありますが、調整局面になるとそれを打開するすべがない。ホンダだったら「シャドウが売れないの?でもCBやアフリカツインがあるじゃない。」ってなるんですが、ハーレーはそういうわけにはいかないわけです。

他のカテゴリじゃ既存メーカーが圧倒的に強いので、新たな領域として「電動バイクを投入する」なんて言ってますが、逆に言うとそれくらいしかやることがないともいえる。

じゃあどう対応するのか?というと、話は簡単。戦線を縮小すりゃいい。この世で真にぶっ倒れない企業は、発想力のある企業でもなければ技術力のある企業でもない。売り上げ減少に応じて経費を落とせる企業です。ダーウィンも進化論の中で「生き残る奴は、強い奴でもなければ、頭の良い奴でもない。環境の変化に対応できる奴なのだー。」といってます。

企業も同じ。どんなに頑張っても巨大市場や移ろいやすい消費者の心はとても制御できない。だから動けない時期は冬眠するのが吉。野生のクマだってそうやってる。エサのない時期はカロリー消費を抑える。これが普遍の論理です。でも企業は冬眠なんかできないので、減量で体を軽くしてカロリーを抑えるということになる。要はリストラと資産売却を行うわけです。だからハーレーの工場閉鎖は実に正しく理にかなってる。

この局面で一番怖いのは「販売減少を食い止め、戦線を維持しよう」として無理な対策を講じ、体力をさらに消耗したり、売れない理由を考えるあまり「自分の信じた道を見失う」こと。今ハーレーが売れているのは昔の不況の時に無策で、大した革新をしなかったのが功を奏しているところもある。売れない理由って今まで売れてた理由でもあったりするから、これをどうするかは非常に難しいのです。

一昨年ハーレーはミルウォーキーエイトを投入し、ダイナとソフテイルを統合して大幅なテコ入れを行いました。これが吉と出るか凶と出るか?それは私には全然わかりません。ただ、個人的にはどんなカンフル剤を打っても「ハーレーのシェアの減少はしばらく続くだろうな」と考えてます。

一方でどんなにハーレーが不振になっても、乗り手としてダイナから降りる気は全然ありません。これで9年目になるわけですが、手を入れ続け古女房と化したダイナは私にとっては代えの効かないバイク。私とダイナの関係性はハーレーの売り上げや、この世の流れには全く影響されない「パーソナルで閉じたもの」なのです。

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(バイクと私の関係は世間様とは何にも関係ない。自分が満足してれば乗り続けるし、飽きれば買い換えます。でも当面はダイナ様と付き合うことになりそう。)

ここまでハーレーに対してあれこれ書いてきましたが、これはどのバイクメーカーだって同じだし、私だって同じです。私は言うだけ言うけど、何もしないダメ人間。自分がいってることを自分が実行できてるわけでもないし、やってることは「ただ見ている」だけ。

「ハーレー助けるために一台買うか?」なんてことは考えない。誰かがバイクで死んだところで、なにもできることはない。バイクは日々進化していくけど、自分は全然変わらない。ないないづくしの無力な傍観者。それが私という生き物です。

世の中「風が吹くから花が散る」ように見えますが、風がなくとも散っていくのが花の運命。それがわかっていても人は世の中のいろんなことに何か理由を求めようとする。でも巨大市場の動きや人の気持ちや突然の事故に理由なんてないし、それを求めたところで何が変わるわけでもない。

ただあるものを受け入れ、消化し、あらゆる障害を耐えしのび、日々をなんとか過ごしていけば、花が散った後にいつかは実がなる。世の中ってそんなもんなんじゃないかなぁと思ってます。

いささか感傷的で変な終わり方になりました。春だからですかねぇ・・。私は脳みそが湧いている罪深いただの古参オタクです。決して宗教家ではありませんので、そこらへん誤解のないようよろしくお願い申し上げます。