今回は顔の下書き編です。

これまでのフィギュア製作記でも述べてきましたが、私がフィギュアの顔を描くにあたっては下描きが結構重要。

「ワシはこけし職人のように一発できれいな筆入れができるのじゃ!ぐわっはははは」

というプロフェッショナルな御仁はいいのですが、そんなことが到底できない私にとっては下描きが過程としてかなり重要なものとなるわけです。表情のイメージを把握したり、実際描いてみることによって眉毛や目線と髪の毛との重なりなどを検証したり。なにより、一旦下描きをしてあれば、本書きの際に手探りではなく(少しばかりですが)自信を持ってフィギュアに相対することができます。

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(どう考えても誘ってる感じなのに罪のない目線。この絶妙さは10代にしか許されない。)

漫画でもイラストでも、下書きがグダグダなのに「ペン入れが至高の仕上がり」になるなんてコトはありません。(逆に下書きが滅法良くできているのに完成したらグダグダであったというのは日常茶飯事です。)

まず、下書き段階で顔をうまく仕上げないとフィギュアの完成は到底おぼつかない。幸いなことに鉛筆で描く下書きは何度でもやり直せます。どんなに描くのが苦手な人でも何回描いてもOKであれば、ある程度のものは描けるはずです。

でも何度も描き直せるからそれで魅力的な絵が描けるか?というと実はそうでもありません。まず、自分の中に「自分が魅力的と感じる顔の概念」がなくてはなりません。魅力的な顔がどんな顔かわからないのに魅力的な顔が描けるわけがない。「自分はこんな顔が好き」という明確な好みがないとそもそもの評価基準が定まらないわけです。

もう一つ漫画やイラストを描くときに大事なのは認識力です。顔がうまくかけているか、バランスがとれているか?歪んでいないか?を判断する脳の認識力が問われるのです。よくイラストでもパースがとれていないものが見受けられます(プロでもそうです。ひょっとして私もとれてないかもしれません。)が、描いている本人にはちゃんしたものに見えているんです。

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(顔の下描き・正面から。首の分割が首輪で切られているのが親切です。)

他人のものを評価するときはしっかりパースを把握できるのに自分で書き出したとたん歪みの把握ができなくなる。描いている側の認識が狂っているので完成品も当然歪む。でも描き手にはまっとうに見えているんですよね。

絵を描かない人は「そんなバカな・・」と思うかもしれませんが、はじめの頃は描いていると本当に微妙な歪みを認識できない。それが真に難しいところかもしれません。

ただ、その歪みがなんともいえない味や個性になっていたりする人もいますし、あえてやってるのか、素でやってるのかわかんない人もいるし、歪みも極限まで行けば邪神セイバーのように高値で取引される対象にもなったりしますので、創作物というのはホント不思議なものです。

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(フィギュア界に突如舞い降りた異形の魔物。その名も邪神セイバー。この神のごとき造型インパクトは多くのフィギュアモデラーに衝撃を与えました。)

フィギュアを作るにあたって完成見本品に似せるのであれば単に模写すればいい。でも模写してしまったら、トレースのうまさや塗装のうまさを評価するだけの完成品になるし、市販の塗装済み完成品のようなものになってしまっては、「完成品買えばよくね?しかもそっちの方が完成度高くね??」という一言に刺し貫かれて終わる。

歪んでいたとしても、自分の美意識というか、自分の内面から出てきたモノを素直に提示していくのがフィギュアの醍醐味かな~と思うわけです。

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(顔の下描き・斜め前から。耳の部分にイヤリングの穴を開けてあります。イヤリングはキットには付属しませんので真鍮線で自作します。)

素人模型の一番の楽しさは何にも縛られず完成度すら放り出して、自分の作りたいように作れることです。面倒くさいことはしなくていいし、縛りに汲々とすることもありません。その自由度と製作過程の楽しさを伝えるくらいしか提供できるものはない。

ま、結局私のような素人フィギュアには個性くらいしかないんです。下手さも個性といいきって押し通るくらいの図々しさがないとこんなブログやってられない。イラストと同じく、自分の歴史と人格、嗜好、女性観などを闇鍋のようにブチ込んで作ってくしかありません。

そんなことをくだ巻きつつナディアの下書きが完成です。製作がずいぶん前ですので、どれくらい書き直したかは覚えていませんが、フィギュアの出来が良かったので案外すんなり下書きは終了したような記憶があります。

次はこのフィギュア一番の難関、褐色肌の塗装についてレポートさせて頂きます。