私のくだらないブログももう100回を迎えました。ブログを書き始めてから1年半くらいかかってます。この間、読んでいただいた多くの皆様ありがとうございます。

今回は一つの区切りということで、半年くらい前に書いたものにもかかわらず、アップするかどうか迷っていたものを上げたいと思います。もう大昔の話です。皆さん読んだら忘れてください。いろいろと不味いことも書いていますが、もう20年以上も前の話。時効ということでご勘弁ください。ナイスもコメントもいりませんので・・・



私が大型バイクの免許をとった頃は、各地の運転免許試験場で限定解除試験を受けるしかありませんでしたが、とにかく技能をみるだけの試験なので「回数を受けて、お金をいくら積んでもダメなものはダメ」といういささか厳しいものでした。当時東京の府中試験場は限定解除試験を受けるライダーでごった返していて、不合格だと次の試験予約は2週間から3週間くらい先になる。

そんな中、あきらめず実技試験にチャレンジし続けるには相当なモチベーションと目的意識がなくてはならず、多くの挑戦者が心に強いモチベーションを持って限定解除試験に挑んでいたのです。(ちなみに私は4回目の試験で運良く限定解除することができました。)

私が試験に挑もうとした理由の一つは「スピードに対する憧れ」でした。当時はレプリカブームのさなかで、佐藤シンヤ氏が公道時速300㎞を実現したことが語り草になったこともあり、試験を受ける人たちのモチベーションは総じて「さらなるスピード領域へ」でした。高速の世界ではエンジンパワーがものをいう。多くの猛者が中型バイク以上の加速とスピードを求め、限定解除に挑んでいたのです。

そして限定解除したら、お決まりのように週末の夜、第三京浜に通い、深夜2時過ぎの暗闇の中、あこがれていた超高速の世界に入っていく。しかし実際そこにあるのは、漫画になるようなドラマティックな世界ではなく、「他者のことなど考えず、モラルと社会性、知性、倫理観、ルールをかなぐり捨て、ただ悪魔になったものだけが勝利する」ような、ひたすら原始的で暗黒で、でたらめな世界でした。それは「峠で膝を擦る」とか「ジムカーナでテクニックを磨く」とか、そういう一定の条件下で行うものと決して同列には語ることができない、邪悪で反社会的なものです。

イメージ 1
(超高速を維持しようとしたとき人は悪魔になる。)

超高速の世界を一瞬体感することは、大型免許を持っているライダーにとっては、そう難しいことではないでしょう。各メーカーのフラッグシップの逆輸入仕様を購入し、第三京浜や東北自動車道などの三車線道路に空いている朝方出張って、アクセル全開で数十秒。あっという間にその領域を覗けるでしょう。初めは速度慣れしてないし、体がつらくて無理かもしれませんが、やがて慣れる。

しかし超高速域、最高速域で人と競ろうとすれば、全く話が違ってくる。限界域では空気抵抗がものすごいので一度速度が落ちると回復に時間がかかる。アクセル戻してしまえば当分速度が乗らないのでアクセルはできるだけ戻さない。右に左に大きくローリングしてのすり抜けなんかも速度落ちるので極力しない。結局前方で行く手をふさぐクルマのミラーとミラーの間か、路面があれているリスクを飲み込んででも左側路肩を流星のように一直線に抜けていくのが最も速い。

挑んでくる他者を置き去りにするためにクルマとの間の安全距離などお構いなしで、隙間さえあればアクセル全開のままクルマの間に割り込み抜けていくという綱渡りをすることになる。これはサーキットのエスケープゾーンをショートカットするような非常識極まりない行為で、常識的なライダーは思いつきもしないし思いついても実行しない。

第三京浜は自動車専用道路ですのでクルマは時速100㎞で走っているわけですが、抜いていくこっちとの速度差は時速1?0㎞以上になります。至近距離からものすごい速度差で抜かれるわけですから、多くのクルマが驚愕して左右に乱れる。これは自分だけでなく他者をも巻き込む超危険行為以外の何物でもない。自分だけならともかく、他人を巻き込むなど万死に値する。まさに外道の所業といえるでしょう。

そういう速度域になると乗っている人間も相当な制約を受ける。カウルにベタ伏せしてもヘルメットはなお顔に張りつき鼻が完全につぶれて鼻呼吸などできない。前方はヘルメットの上端のラインと、回転計と速度計の間の谷間、僅かな三角形から見通す。路面状況が見えすぎると本能による危険感知センサーが働きすぎてアクセル戻してしまうので、あまり見えない方が都合がいい。

当時の第三京浜にいたごくごく一部のライダーの間ではそんな走り方が当たり前のようにまかり通っていました。そういう邪悪な人間が善良なライダーの皮をかぶってうろついている世界だったのです。

そしてそんな悪魔的な人間同士が出会うと、さらに悪魔的になる。相手の悪魔的な行為をみると、「ああ、こんなことしても許されるのか?」と自分の倫理の枷がまた一つはずれ、邪悪な引き出しが増えて、さらなる畜生道に足を踏み込んでいく。

結局公道において「限界領域に踏み込む」っていうのは速度に対する体や精神の慣れと反社会的行為に対する麻痺、「そもそも守るべきものも、負うべき責任もない」というライダーの「人間的空虚さ」などの条件が重なって可能になるもので、速いバイクやテクニックがあれば可能というものではありません。

何かを背負っている人や、守るべきものがある人、充実した日々を送っている人はまったく踏み込む必要がない。なぜなら行為そのものが「自殺に近い」からです。これは決して技術とか度胸の問題ではない。「人としての壊れ方」の問題なのです。

だから、そういう領域にいる人をテクニックのある人だとか、凄い人だとか決して思ってはいけない。私も含め彼らは「破綻者」なのです。人として壊れてしまった「悪魔、外道、悪鬼」のたぐいです。そこで大けがや大事故をせず生き残るために必要なものは、簡単にはパニックにならない「凍てついた心」と「運」くらいしかない。結局のところ「マシンと運に頼るだけの自己満足的享楽」に浸るだけでそれ以外何もないのです。

おそらくそういうことはその領域を走る悪魔達全てが薄々理解していたはずです。安全マージンをどんどん削っていけば「最後は運だけ」になると。結局我々は毎週ロシアンルーレット的な運試しをしていたに過ぎない。私自身、バイクを暖機しているときは「今日こそは死ぬかもしれない」とおぼろげに思っていました。でも、まるで他人事のように悲壮感や恐怖はまったくなかったし、一旦バイクにまたがってアクセルをひねるとそんなことすら全て忘れてしまいました。

そのような悪行と引き替えに得られるものは脳内に大量分泌されるアドレナリンによる「全身が覚醒したような爽快感」「他者を置き去りにする優越感」「その領域にいることの特別感からくる暗い喜び」。

結局のところ第三京浜の悪魔達は非合法な快楽に狂っている「抜き身のナイフ」のようなものです。自分のことしか考えず、速さのためなら何でもする。周りも容赦なく切りつけて何のためらいもない。しかし、そんな行為を普段は決して語ることなく、「リストカッター」や「麻薬中毒患者」がなにも語らないように堅く口を閉ざす。国内仕様のリミッターにあたるくらいの速度ならまだしも、それが完全に狂気の異常速度となり、非常識さがある一定レベルを超えてくると誰にも触れられたくない。

その領域を走りながら長らく五体満足でいられるというのは単に「運が良かった」というだけのこと。運が悪かった人は悲惨な形で脱落していきました。その領域での「速さ」は自分の「狂乱の外道ぶり」を逆証明するにすぎない。常識的な走り方ではそんな速度を維持できないのですから結局犯罪的行為の集大成をあげつらうだけになる。

こういう世界ではたまに伝説的に語られる人がいたりしますが、そういうのはつるんで走ってくれる「観測者」がいるからで、ほとんどの悪魔達は観測されることもなく闇の中にいる。

そういう暗闇の世界の中で、少なからぬ人々が命を落としたり大怪我をしたりし、周囲に迷惑をかけつつバイクを降りていきました。悪魔達の走りを見て、私自身も悪魔になったし、私の走りを見た人の一部も悪魔化したかもしれない。それはバイクの社会的な評判を落とし、バイク業界にも大きな迷惑をかけることになったはずです。更生した麻薬患者のように、自分も今、当時の自分に対して後悔しかありません。

しかもその経験はその後の自分のバイク人生になんらのプラスになっていない。超高速の向こう側には何もなく、外道と化した自分がいただけです。決して技術が向上したわけでもありません。速度感は完全に麻痺したし、風圧に耐える首や上半身の筋力はついたかもしれませんが、そんな特殊な筋肉は他に使いようがない。

私はある出来事があって、その世界から完全に足を洗うことになりました。しかし、今でも「決して思い出したくない」こと、「思い出してはいけないこと」がフラッシュバックすることがあります。

有名な「キリンは泣かない」というセリフがありますが、「死がすぐそこにある世界には、そもそも涙なんてない。」んです。「死に対して完全に心が凍ってる。」、そこは病んだ世界であり、正常な人の住む世界ではありません。

結局のところ超高速域の世界は自傷行為です。その速度域への到達と引き替えに自分を「滅多刺しにしている」に等しい。しかし、狂っているうちは自分が何をしているか、どんなダメージを負ったのかがわからない。その世界から離れ、正気に返って、ようやく自分がボロボロで「どうにも駄目になっている」ことを理解できる。そして、そこからの回復にはそれなりの時間がかかります。

悪魔から「人間らしきもの」に戻っても、時間を巻き戻してそれを全てなかったことにし、綺麗な人に戻ることなど神様が許さないのです。