今回は美少女フィギュアの肌塗装を切り口にお話を展開していきたいと思います。

美少女フィギュアの塗装はほぼ一発勝負で、塗装面の美しさがなにより大事です。肌は血色がよく男心をそそるものがよいということはいうまでもありません。フィギュアを作ってますと、女性がお肌のシミを気にする気持ちが本当によくわかる。

フィギュアの顔描きは全くの白紙から丁寧に肌を塗り、美しいご尊顔にしていく作業です。正直いって自分の嫁の顔のシミなどすでに「気にしてない」(←死を覚悟した発言。)私ですが、自分のフィギュアの顔のシミは超超超~気になる。尻まわりなども見る方の視線が集中していますから、目を細めてもう執拗にチェック。「顔良し」「胸よし」「尻よし」と指さし確認するくらいの勢い。

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(室内と野外では肌の発色も随分異なる。降り注ぐ光の質と発色は切っても切り離せないところがまた難しい。)

端から見れば「美少女フィギュアを視姦している変態」「いずれ幼女相手に大事件を起こす」ように見えるかもしれませんが、自分の中ではそのような劣情などは一切ない崇高な行為なのです。

シミや汚れだけでなく「肌つや」なんかも気になるところですが、生粋のフィギュアモデラーさんのように「きれいに美しく発色させる」というのはかなりのセンスと経験と技術が必要で、私などまだまだ全然まったく修行が足りない。もう相当な数を作ってるのに「下地にピンク吹いとくと、肌に深みがでるっぽい」程度のスキルしかない。そういう色の重ね技を体系的に分析してるなんてことはなく、単に経験から得た適当さで塗ってます。肌の色って本当に難しくって、失敗してディラックの海(シンナー壺)にドボンは枚挙にいとまがありません。

私のような雑魚モデラーは美術系のセンスや才能はほとんどないので、経験と失敗を重ねて、自分の引き出しを増やし、ジリジリと上達するしかないわけですが、そのためには、どんなに不具合があってもとにかく「最後まで仕上げること」が大事。ミッション達成度「ランクD」でも歯を食いしばって、最後まで心を折ることなくクリアしていく。低級モデラーである私が造形師に対して見せられる誠意はそれしかないし、模型は完成までのトータルで見ないと「モデラーたる自分の真の姿」が見えてこないのです。

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(尻のシミは罪深く不完全な人間には許されても崇高なフィギュアにおいては決して許されるものではありません。)

「馬鹿な!模型はクォリティじゃないか!!雑に作ることを許容するのか?」「そんな根性のないことでは、中国のフィギュア工場のおばちゃんと変わらない!」という人もいるかもしれませんが、そういう方は素人モデラーの苦しみがわかってない。いいですか?

「手を抜いて雑に作ってるのではなく、必死に頑張って作った結果が雑だった」んです。

「ちゃんと作れる人、才能のある人にはできない人の気持ちなぞわからない!!」(←机を叩き、首を振りながら青年の主張)これはこの世の真理。よって、中国工場のおばさま達の評価もプロモデラーと私では全く違う。もうここでカミングアウトしてしまいましょう。

「私の中では中国工場のおばさま達すらすでに尊敬の対象です!!」

彼女らはもはや塗りのプロ。それで食ってる経験豊富な職人たちなのです。私は数を作ってゆっくりながらも少しはマシになっていってるんで、「模型は場数だ!」と主張してるのですが、それを基準にすると中国のフィギュア工場のおばさま達はどうなっちゃうのか?

彼女たちの場数は私なんぞとレベルが違う。なんせ毎日毎日数十体、数百体を一定のクォリティを維持しながら塗ってるんですから。私が作っているのが一品物のプロトタイプだとすると、彼女たちが作っているのは量産品。量産品はプロトタイプより質が落ちるはずなのに、あのクオリティ。脅威的です。「食玩フィギュアの塗装技術に衝撃を受けてピヨる庶民モデラー」の悲しみは才能豊かな人たちには決してわからない。私の現状認識では「中国のフィギュア工場のおばちゃんは、ある意味目指すべき高みにいる。」

私がその昔、エヴァのフィギュアを塗っていた頃には塗装済み完成品のクォリティは非常に低く、怪獣ソフビ人形レベルでした。「やはり市販フィギュアより自家塗装だぜ。」と私レベルがしたり顔で語れる時代もありました。しかし今、中国産フィギュアを黎明期の「邪神モッコス」「邪神セイバー」のイメージで語ってはいけない。

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当時あまりの衝撃にフィギュア界では神格化された存在となった邪神セイバーと邪神モッコス。恐ろしく雑に作られた邪神セイバーの放つ強烈な個性と魅力にあまたのフィギュアモデラーが雷に打たれたように何らかの天恵を受けたはず。ヨグ=ソトースの門より来たりし外宇宙の存在か?知らない方は是非検索を!)

そもそも「中国工場のおばさん達に負けたから、技術で追い抜かれたからどうというのか?」上手い下手でいうのであれば、私より上手いモデラーは星の数ほどいるわけで、そんなこと気にしてたらフィギュアなんぞは作れない。大事なのは「人と比べるのではなく、自分が満足するかどうか?」です。市販のフィギュアは確かに良くできてるし、作る苦労は必要ないけど、自分の作ったフィギュアには製作過程で刻まれた深い愛着と思い入れがあるのです。

パーソナルな世界では思い入れMAXなものは、良くできていたとしても思い入れが低いものを軽く凌駕し乗り越える。

だから、フィギュアは気楽にこころのままに作ればいいんです。「フィギュアに思いと愛情を入れる作業が製作の本質」だと考えれば、その完成度にどれほどの意味があるのか?時間の制約もなく、数を作る必要もなく、過度に似せなくてはならないわけでもない。ただ思いのままに「信仰のための仏像を彫りぬく仏師」のように作っていけばいいのではないかと。

私がこのブログで自分の製作の恥部ばかり開陳しているのも、模型雑誌ばっかり見てるとみんな完璧に作っているように見えるけど「実際の素人模型は失敗ばかりで、もっと気楽なもん」であり、「こんないい加減で自堕落な馬鹿チンでも我慢して一体ずつ完成させていれば、なんとか飾れる程度のものが完成する」ということがいいたいだけなのです。

でもやっぱり技術も欲しいなぁ・・現在の中国工場はレベルが高くて厳しいですが、ベトナム工場くらいのレベルにはなりたいものです。