仮組み、下地処理が終わったら、いよいよ第2段階である「顔描き」「体の塗装」に入っていくわけですが、今回はちょっと横道にそれて塗装に失敗した時のお話をしたいと思います。顔描きや塗装に失敗すると、当然でありますが塗膜を一旦剥がして、再度塗り直すことになります。ガレージキットモデラーなら必ず一度は体験していることでしょう。そこで登場するのがこちら。

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(私がこれまでブログで何度も紹介してきた「汎用壺型塗膜剥離装置」通称「ディラックの海」です。名前は格好いいですが、その正体は単にペンキ用のラッカーシンナーを入れた壺に過ぎない。)

ガレージキット製作が行き詰まったとき、この壺のフタが凄まじい刺激臭と共に開き、進化の袋小路に入った不完全なガレージキットは、皆この壺に還っていきます。壺の中では疑似サードインパクトが発動し、私の心の中で鳴り響く「魂のルフラン」をバックにして全てのものが進化前のホワイトボディに強制的に戻されることになります。

このディラックの海は私が血の涙を流しながら断腸の思いで毎度毎度失敗作を漬け込んだため、多くのフィギュア達の無念がシンナーに溶けて染みこむことになり、タダのシンナー壺ではなく、怨念や邪気すら感じる「魔界の痰壺」のようなものへと変化しています。そもそも「進化の袋小路に入って再出発」といっても、作っている私の技術向上や劇的なヒラメキがなければまた進化の袋小路に入る可能性も濃厚で、ゴールにたどり着ける保証はどこにもない。

製作難度の高い上級キットになりますと、同じところで同じように失敗をして、輪廻の輪のようにこの「ディラックの海」を往復するという悲劇的な「ヒグラシが鳴くまどマギさん」状態になることもたまにある。その時は心の中のバックミュージックは「魂のルフラン」から「コネクト」に変わる。「いつになったらなくした未来を・・私ここでまた見ることできるの・・」的な大回転状態。

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(見よ、この邪悪に染まりし色。邪神クトルフですら、入水はノーサンキューでしょう。入ったら無事では出てこられない感が漂っています。)

ほむらさんのように輪廻に対抗する愛の力もないので、輪廻2週目くらいからはやくも投げやり感が漂ってくる。マスキングも同じ場所を何度も何度も繰り返すことになり、自分がモデラーなのか「ブラ&パンツマスキング職人(いわゆる変態or変質者or破廉恥漢)」なのかわからなくなってくる。

「ディラックの海」には「完成品の裏には多くの失敗がある」という、模型の本質が凝縮されています。「ディラックの海」の濁りは、まさに模型製作のダークサイドが色彩に変化したものと言えるでしょう。

ガレキをドボンとディラックの海につけ込んでるとき、私もふと「こんな風に、もう一度人生をやり直すことができたら・・・」という思いに駆られることがあります。私はそれなりに罪深い人間なのでそりゃまぁしょうがないのですが、私だけでなく誰もが一度は感じる欲求ではないでしょうか?

えらい昔の話になりますが、エヴァンゲリオンがあんなエンディングになっちゃったのも、庵野監督に「全てを一からやり直す」という、自傷作用にも似た暗い「人生リセット願望」があったからだと推測してます。「ああこの監督、いろんな意味で苦しんでんなぁ、八方ふさがりなんだろうな・・」とエヴァを見てそう感じた記憶があります。

でもサードインパクトを起こし、進化をやり直したところで、それは他力による救済。人自身の持つ業が変化しなくては、模型だって人生だっていくらやり直しても結局は何も変わらないんです。

まどマギで輪廻が収束したのも、ひぐらしがエンディングを迎えたのも、鳳凰院凶真がシュタインズゲート世界線に到達できたのも、私のガレキフィギュアがなんとか完成するのも、結局は「輪廻の過程で少しずつ失敗を修正し、成長していった」からなのです。失敗の先に反省と成長がないと人は同じ間違いを繰り返す。ああいうアニメは「多くの間違いを経てこそ、人は正しい道を選択できる」というカリカチュアでもあるでしょう。

まぁ人間は間違いを犯してもリセットはできないし、時間は容赦なく進んでいってしまうのですが、ガレキは何度でもリセットが効く。これからも「ディラックの海」には沢山お世話にならなくてはならないと思いますが、これもモデラーとしての経験値をため、前進していくための試練と前向きに考えています。

次回はマドカさんの顔描きに入っていきたいと思います。

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(巨大オーキス?の後ろ姿。この武装がメカフェチの魂をエグリます。)