相変わらず模型製作記の間に挟んでいきます、バイクのブログ。(ほとんどが模型製作記のブログなのに、わずかしかないバイク記事のほうがアクセス多いってどういうこと??)

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(絵も写真もないとさみしいのでイラストを描いてみました。)

今回は私も毎月のように読ませていただいてます、バイク雑誌について思うところを書いていきます。

皆さんは雑誌に載っているバイクの評価記事を参考にしてバイクを選んでいるでしょうか?

我々が書店で手に取る雑誌の評価記事は、ライターがあるバイクに試乗し、インプレッションを執筆することによってこの世に生み出されます。しかし、「そもそも、どのバイクをインプレッションの対象にするのか?」その部分からして既に無作為ではありません。

雑誌のインプレッションで取り上げられれば、そのインプレ記事によってバイクの露出がそれだけ増えるわけで、良い評価のインプレッションは下手な広告の10倍以上の販促効果があります。つまりどのメーカーもいい評価記事を書いてもらい売上を上げたい。そこで「評価記事の形式をとった広告」というものがでてくるわけです。つまり評価記事自体をページいくらで「メーカーに売っちゃおう」ということです。このようなコンセプトで書かれた記事はほとんどが「提灯記事のようなもの」となるわけです。

広告宣伝費にダブ漬けとなった雑誌の多くがこの広告的評価記事に支配されているといってもいいでしょう。カラーページが豊富にあるとか、メーカーの見開き広告がバンバン載っているという雑誌は「資金が潤沢」ということであり、なぜ潤沢かといいますとページ構成のほとんどが「記事の体裁をとった広告」だから。当然そんな記事から真のバイクの姿を読み取ることなどできんわけです。

ちなみにそこで気骨のあるライターが、「ケェエェエエエエッェェェ!!俺が真実を書いてやるわあぁぁああ!!」とばかりにあらゆる方面から良いところも悪いところも公平に吐露した記事を書こうとしたらどうなるのか?我々の前に真のバイクの姿がさらされるのか??

残念ながら、そんな志の高い評価記事は我々の目に触れることはありません。「ペンは暴力よりは強いかもしれないですが、広告には弱い。」なぜならその記事は我々の目に触れる前にメーカーに送られ、メーカーの担当者が真っ先に目を通してしまうからです。そりゃまーしょうがない。スポンサーであるメーカー様がページを買ってんですから。そして記事をチェックしたメーカーはその記事の中の「この部分が不都合という部分をすべて赤字で修正してくる」

この結果、「評価記事のうち肯定的に書かれている部分については残るが、否定的な部分はほとんど削除されてしまう」ということになるわけです。しかも、これには傾向がある。日本製の場合はあまり厳しく赤線をかましてくることはありません。まるでライターの人格を否定するかのように原稿に手を入れまくることは憚られるという日本人的な意識や、そこまでして提灯記事を書かせたとなると、そういう噂は当然他のメーカーの耳に入ったりしますからバツが悪いというところもあるのかもしれません。傾向としては大メーカーになればなるほどそこら辺は鷹揚なところがあります。

しかし、海外製は容赦ない。「金払ってんだから当然だろ?!」とばかりに、自分たちに都合が悪い部分はことごとく赤字で訂正、削除してきます。「ここはダメ」「これも言っちゃダメ。」「自分とこの評価が上位じゃないとダメ。」そんなことをゴリゴリ言って押し込んできます。また外国車は車両価格をそれなりに盛ってあるため多額の広告宣伝費を捻出できる。その広告宣伝費によってメディアに広告を打ち、より効果的に売り上げを伸ばそうとするわけです。

皆さんバイクでも車でも「国産車は結構たたかれているのに、外国車は褒められてるなぁ」と感じているかもしれませんが、それはこういう事情があるわけです。私に言わせりゃ外国車も叩こうと思えばメチャクチャ叩けますね。というか隙だらけでどこ叩いていいかわからないくらい(笑)。

しかし、どんなに欠点を隠しても、私がブログで何度も言ってるようにこの世に「すべてにおいて最高のバイク」など存在しないわけで、どのバイクでもどこかに必ず「ネガを抱えている」んです。バイクとともに生活するうえで、このネガティブな部分をライダーが許容できるかが一番大事です。

バイクのプラス部分とマイナス部分を総合的に判断し、自分の伴侶にふさわしいかどうかを選択していく。これが正しい消費行動なんですが、このマイナス部分が雑誌の記事からすっぱり除外されてるので始末が悪い。しかもプラス評価の部分は激しく盛られている。つまり、真実は一応書かれていて嘘もないけど、それは「ある部分誇張し、拡大され、隠され、捻じ曲げられているものである」ということを理解したうえでバイク雑誌を見るべきだと思ってます。

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(リサーチではなくライターの主観で順位付けする無意味さはいつに始まったのか?)

そもそもバイクのインプレなんてダート走ったり峠走ったり市街地走ったりするだけで、整備性やパーツの供給が円滑か?、耐久性はどうか?故障率は??数年後乗り味が維持されているのか?など、機械ものに一番大事な信頼性は一切考慮されていないわけですから・・・。「いや、そこ外しちゃえばそりゃ外車は強いよね」と感じるメカさんは結構多いんじゃないでしょうか?

無責任に順位付けされた提灯記事を見るたびに「ホントこのバイクを1位に推しちゃうの??いいんだけどさー。でもあなた方が1位に推したこのバイクをあんた達が自腹切って買えるの?」とつぶやきたくなることもある。

今の世の中はいろいろ複雑になって、雑音やノイズがあふれ、自分にとっての真実を探しあてるのがとっても難しくなりました。結局は失敗を繰り返しながら(まぁどんなバイクもそれなりに楽しいので完全な失敗ってのはないんですけど。)自分に一番合ったバイクを金を浪費しながら探していくしかないんですね。んでもって、上から下まで一通り乗ってみると、性能や評価なんて「絶対的なんてものではなく、すべてが相対的なもんだ」ってわかってくる。

乗る人の考え方、バイクへの接し方、運動能力、走る環境、生活の事情。それが常に刻とともに移り変わっていくため、すべてにおいて最高のバイクなんぞ存在できるはずがない。そして、その時々の最高のバイクはその人にしか決められない。でも人はなぜか自分の選択に自信が持てず、他人に「自分の選択を肯定してほしい」と思ってる。自分のバイクが雑誌で低評価だと不安になる。

カワサキのエストレヤはトライアンフのボンネビルより劣るのか?ンなこた全然ありません。すべてのバイクが同じではないけど、すべての面で最高などというバイクは未来永劫生まれない。ましてやバイクってのは乗り手とバイクが一体となって初めて評価されるもの。評価の8割は乗り手の技術や立ち居振る舞いに対するものであってバイクではないんですから。

結論として言いたいのは「雑誌のインプレ記事は読み物として楽しむ分にはいいですが、過度に気にする必要なんて全然ない」ということです。

「でもね。雑誌で自分のバイクが褒められているとやっぱりうれしいじゃない。」とおっしゃる方。いやそのとおり。褒められて気分の悪い人はいないですから。そんな時はその記事を読んで素直に楽しめばいい。逆にけなされているときは「所詮雑誌の記事はその程度のもの。下らない提灯記事の垂れ流し。ほんっとにメディアってどうしようもねぇな。」とバッサリ切り捨て、知った風につぶやきましょう。いやー自分を持ってる大人って実にカッコいい。

営利の世界にどっぷりと浸っている雑誌の記事なんてその程度です。そして、それがバイク雑誌の正しい楽しみ方だと思ってます。え?そんなの頑張って書いてるライターさんに失礼じゃないかって??いやいや、その方がライターさんも良心が痛まず、きっと気が楽なんじゃないでしょうか。