へっちまんのガレージキット製作パートです。バイクの記事を期待している人には全く刺さりようがないクソネタです。

「こんなのがなぜバイクのブログカテゴリにはいってるの?運営何してんの?弾幕薄いよ?さっさと削除して!!」

と思われるかもしれませんが、ライブドアに来る前に書いていたYahoo!ブログでは「ブログ記事ごとにカテゴリを任意に選択できた」ので、ガレージキットのブログを書いても「カテゴリ違い」というご迷惑をかけることはなかったんです。

しかし、ライブドアブログにはこの機能がない。ライブドアブログはほとんどの点でYahoo!ブログより優れているんですが、このカテゴリ選択だけは融通が利かないですね。ブログごとのカテゴリ選択ができないので、従来の私のブログの形を維持しようとすると「バイクブログのカテゴリ内に私の模型製作ブログが入ってきちゃう」ということになってしまう。

一般に「硬派でストイック」と思われているバイクと、「究極の腐れ軟派芸」と思われてる美少女フィギュアガレージキットは、どう考えてもなじみが悪い。でもしょうがないんです。雨が降れば模型作り、晴れればバイクが私の休日の過ごし方なんですから。

ということで、通常なら今回はガレージキット「冬馬かずさ」の仮組み工程に関してダラダラと書く流れになるんですが、もう過去に仮組みに関することは書き尽くしちゃって、ほとんど書くことがなくって困ってる。まだ完成品フィギュアのストックは残っているのに、ネタの引き出しがないんですね。

しょうがないので、写真で仮組みを紹介しつつ、「自分にとって美少女フィギュアガレージキット」とは何なのか?どこにバイクとの共通点があるのか??という根本的な問題を少しばかり掘り下げてみたいと思います。

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(冬馬かずさ仮組み。キャスト=シリコン樹脂で作られたガレージキットは接着強度とパーツの合いに難があるので、まずは芯棒を通して刈り組みしてパーツをすりあわせます。このキットのようにレジンキャストが黄色い古いキットはこの仮組みからして相当苦労する。)
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(目をあらかじめ下書きして、こういう顔にしたい!っていうイメージを作っておきます。それにしても良いキットはホワイトボディの状態ですでに素晴らしい。)

このブログ、初期の頃はガンプラや帆船模型、ジオラマなど、モデラーとして割とまともな模型を紹介していました。しかし、ある時期から、美少女フィギュアガレージキットの製作記の紹介ばかりになっていった。この現状に多くの方々がいささかの違和感を感じておられるかもしれません。

なぜなら素人模型と銘打ちながら、そもそも「ガレージキット」自体が素人が扱うジャンルではないですし、「美少女フィギュア」という領域はさらに理解不能な極北といえましょう。一般の方々には「模型技術的は完全に素人だが、脳内はもうどうしようもなくマニアックにイッテしまっている」ように見えてしまう。

そういう点を考慮すると、このブログは「へっちまんの精神汚染模型&モーターサイクル」というネーミングであるべきなのかもしれません。

そもそも私が美少女フィギュアガレージキットを作るようになった理由は2年ほど前のブログ(こちらです→「一般女子と模型との関係性について」)に書いているんですが、とっつきは大学時代と結構古いんです。諸般の事情で数体のガレキを作ったわけですが、その当時作ったガレキはほとんどが立ってるだけのマネキン状態でした。6体くらい作ったあたりで嫌になり、ミリタリースケールモデルの世界に戻って、長い月日が経ちました。

しかし、スケールモデルのジオラマや帆船模型などを作っていると、「機械と人との関係性」「人と機械を同じフレーム内に配置することによって産まれる情景」の味わい深さに徐々に気づくようになってきて、2007年にVispo片桐さんの企画キットの「アスカR」にイナズマを浴びたような衝撃を受けることになるのです。

アスカR.vispo(私をガレージキットの世界に連れ戻した作品でもあり、今でも一番好きなガレージキット。それが私にとってのアスカR。販売は2007年。Vispoさんの名作中の名作です。写真はVispoさんのホームページから転載。)
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(ワンフェス会場のアスカR。写真は転載です。うーん見事ですね。)

それはNSR50ベースのレーサーとツナギを着込んだアスカの組み合わせ。NSRレーサーにはファニーなデカールが用意され、痛車仕様に仕上げてあり、ツナギのジッパーを下げてセクシーに見得を切るアスカがバイクに跨がっていました。それを見たとき、「これだ!俺はこれが作りたかったんだ!!」と叫びたい気分でした。このアスカRの登場により、私はまたガレキの世界に戻ってきたのです。

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(NSR50は痛車仕様。へっちまん製作。これがキャストモデルと信じられるか?正直イタレリのプラモくらいのレベルは十分ある。アスカはもとよりバイクにも一切の手抜きはなく、バイクとアスカに対する愛と熱量が突き抜けてる。デカールもハイセンスで、版権フリーのガレージキットだからこそできた贅沢な一品。何よりアスカという乗り手のパーソナリティを得たことで、バイクの輝きが何倍にもなってる。私はこれを求めていた。)

ミリタリーモデルのジオラマモチーフは「機械と人」であり、基本、戦車や自走砲などを中心にジオラマを作り込んでいきます。35分の1では兵士の表情を徹底的に作り込むことは難しく、作り込んでも一定の距離を取るともう見えない。結局にモチーフの核となるのは目を引く戦車や兵員輸送車になるんです。一方スケールがでかい美少女ガレージキットは人間を見せてナンボ。つまりマシンはあくまで脇役。そこが絶対的に違うのです。

今、模型界ではヴァリアブルファイターガールズや、メガミデバイス、フレームアームズ・ガールズ、あたりが猛威を振るっているようですが、これは美少女を中心にした模型達であり、機械と人の関係に興味を持っているミリタリーモデラーが「何かの拍子に転んでいく可能性がある」領域であると私は思っています。

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(マクロスを素材に私どもの世代を完全に釣りに来ているV・F・G。猫語はF-14トムキャットのパロなんでしょうが、実にあざとい!でもキットの出来はクソ真面目。小スケールなのにキャラの可愛さやファイターのかっこよさ、バランス。いずれも全く手を抜いていない。現物を見るとちょっとびっくりする。)

「軟弱」とか「俺は硬派で」とか「人の目が・・」とかの世間体はあろうかと思いますが、はっきりいいましょう。

「模型の世界に上下はない。」

私の作った一級帆船模型ビクトリーとアスカRの間に一切の優劣はありません。人は茶の間に飾ったビクトリーにばかり目をやりますが、私のアスカRに対する思い入れはそれに全然負けてない。

世間体などを一切取り去って、一モデラーとして新たな領域にチャレンジしようと考えたとき、美少女フィギュアガレージキットに広がっているのはまったく新たな地平であり、チャレンジする価値のあるものなのです。

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(3年の製作期間を経て完成したディアゴスティーニの木製帆船模型ビクトリー。お前まともな模型も作れたんかい!!とツッコまれそう。なお、このビクトリーは過去に製作記を上げています。笑いと涙の地獄の製作記はこちら→3年殺し①3年殺し②3年殺し③3年殺し④。スケールモデルは作ったらほぼ終わりで飾るだけ。でもガレキフィギュアは1年後や2年後に瞳を手直ししたりしてる。私の中ではビクトリーとアスカRに上下の関係はない。)

しかし、一般的にミリタリーやスケールキットを地道に作っているモデラーは美少女フィギュアガレージキットという世界を「軟弱で、オタクで、ストイックさの欠片もない唾棄すべき造形物」という評価している傾向にある。今は昔に比べてガレージキットもかなり認知されてきていますが、一昔前はまさにそんな評価だった。極端な場合は

「女性下着を塗りたいが為にフィギュアを作っているんでしょ?」

的な指摘を受けたこともあるくらいです。(その顛末はこちらのブログから→「夜中にパンツとか塗ってると興奮するんでしょ??」

確かに、美少女フィギュアで目指すものは、「自分の好みの女性像」の立体化であり、「それは下着も含めてだよね?」と意地悪にツッコまれた場合、「下着だけには興味はない!」などと男性として極めて不自然な回答をするつもりは毛頭ありません。

少なくとも靴を塗装しているときよりも下着を塗装しているときの方が「男として力が入っている」ことは間違いないですし、無意識に薄ら笑いになっているのかもしれない。しかしそこに性的興奮など1ミリもありません。模型はそんな浮ついた気持ちで作れるような甘いものではないのです。

私の商売の師匠が「モノに金を使っているうちは二流、人に金を使えるようになってようやく一流だ。」とおっしゃっていましたが、私は少なくとも模型製作の世界の中においては「人に興味と情熱と金をかけられるようになった。」のかもしれない。

今思うとバイクだってたどった過程は同じでした。初心者の頃はバイクという機械にしか目が行かない。バイクをどう乗りこなすか?すべてにおいてバイクが中心で、いかにバイクを速く走らせられるのか?ばっかり考えていた。最高速を狙えるバイクを買えば、ひたすら最高速を求め続ける。要はバイクと速度という魔物に振り回され、バイクという機械を動かす肉の塊になっていたのです。そんな中で多くの友人を失い、人としてどうにも駄目になってしまった。

しかしやがて、このままじゃ駄目だと気づき、自分はバイクとどう付き合いたいのか?バイクは自分にとってどういうものなのか?を真剣に考えるようになりました。バイクという機械をライディングする自分自身に夢を見なくなり、バイク中心から自分中心に考え方が変わっていったのです。そうなると選ぶバイクの出力や機動性がホドホドのものになり、フレームもガチガチではなく適度にしなって、公道でライディングしていて楽しいものを選択していくようになる。

スペックを基準にすればバイクの優劣は明らかですが、人を基準にしたとたん優劣は混沌としたものになり、スペックはその評価軸としての価値を失ってしまう。そこに強烈なパラダイムシフトがある。

人との相対的評価を考えるからおかしくなるんで、「自分さえ良ければ他人がどう思おうがどうでもいいじゃないか。どこまで行っても俺は俺でしかない。」という開き直りから真の自由は生まれると私は思っています。

模型もバイクも、いつからかそのような考え方に変わってきて、自分の選択は大きく変化しました。他人から見て、それが「軟弱、有罪、盲信、逸楽、堕落、退廃」的に見えたとしたら、それは私が「もともとそういう人間」だったということなんでしょう。

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(冬馬かずさの仮組み写真も貼らないと「なんのブログやねん!」と言われそう。仮組み後の全身図。仮組みのまま飾ってた方がええんちゃう?っていうのは禁句。確かに、そんなに塗装は自信ないんですが・・それを言っちゃおしまいです。)

2次元や3次元で「人という捉えどころのないものを表現していく」ということの充実感は「それを作っている者にしか絶対にわからない」し、乗り手を基準とした時のバイク選びの結論も人によって様々です。だから私はいつしか、いろんなネガティブな評価に反論するのはやめました。他人にそう見えちゃったとしても、それはそれでしょうがないかなと。

「なんでそんなの作ってるんスカ?」と問われても「いやー、だって俺変態だから」とニコッと笑っておけば、相手が絶句してそれで終わる。誤解されたって、下がるような社会的評価もないんで、それでいいじゃないのと。

よくバイクは「乗った人間にしかわからない乗り物」であるといわれますが、美少女フィギュアガレージキットも「作ってる人にしかわからない創作物」なのだといえるのかもしれませんね。